コミュ-3)-1. 強弁術を知っておく

はじめに

前回は、議論/討論の誘導についての記事
(何かこの結論納得できない。。。とならないための予防策)。

今回は、その誘導の中で使われる可能性が高い「強弁/詭弁」のうち「強弁」 について

ちなみに理屈抜きの押しの一手が「強弁」、多少とも論理や常識を踏まえて相手を丸め込むのが「詭弁」。

今回はこの中から強弁について、以下の本を元に

強弁術

「泣く子と地頭には勝てぬ」との言葉通り、無理が通れば道理が引っ込むような状態での無理。

  • 大きな声で“嫌なものは嫌”と妥協なしで言い続ける小児型強弁法
  • 物事を無理な前提条件を割り込ませた上で強引に二通りに分け、そこから判断を強いる二分法
  • 相手の言っている言い分に対し些細なことを持ち出し相手の言い分を帳消しにしてしまう相殺法

とが挙げられるとの事。

小児型強弁法

相手が言う事は耳に入れず、「ひたすら自分の言いたい事を言い募る」と言った点に特徴がある。

常に勝利者でなければ気がすまないタイプが陥りやすい。厄介なのは「本人がそのつもりでない」点である。

妥協したくないから妥協しないのではなく、妥協ということを知らないのである。

よって、自分の決心した事、感想を素直に述べるだけで、他人の言う事が耳に入らずひたすら自分の考えを繰り返す。

例えば、子供の口喧嘩

A 「二階建ての自動車乗ってみたいなぁ」

B 「そんなの、あるわけないじゃん」

A 「あるもーん」

B 「ないもーん」

A 「作ればあるもーん」

B 「おまえんち、そんなお金あんのか」

A 「おまえんちだってあるのか?」

B 「ありますよーだ」

A 「ありませんよーだ」

B 「ありますよーだ」

A 「じゃ、作ってみろ、一分で作ってみろ」

B 「あっかんべーだ」

いつの間にかB君はあるわけのない車を作ることになっているのだが、そんな事はお構いなし。
世界最強の矛と楯が闘っているようなもので両者とも勝者。。

またこんな例も記載されている。

あるお母さんが買い物で勘定を済ませる前に、子供に商品を渡した。
それに対し驚いた他の主婦が新聞に投稿した所、賛否両論が沸き起こったそうだ。

「しつけがなってない」

「昔はそんな事はなかった」

「子供が欲しがるからしょうがない」

と色々出たらしいのだが、その中で

「どこがわるいのか?」

といった投書があったそうだ。

これが小児型強弁のテクニックの一つ。つまり、論証、説得の丸投げ。

難しいところは相手に押し付けてしまえ、相手が引き取れば半分勝ったも同然。

そんな状況あまり無いだろうとは思うが、会社でもよく聞く会話である。

検討が不十分な提案に対し

上司「そりゃだめだろう」

部下「え、なんで、だめなんですか?」

上司も知識が不十分で判断に迷い、”とりあえずやってみるか・・” となればある意味部下の勝ち。
もともと部下も検討していないので、「ダメなものはダメ!」と小児型強弁返しで止められても最悪引き分け。

二分法

人の考えをある原理的な基準で強引に二つに分けてしまう考え方。いい者?悪者?の世界。

これは中世ヨーロッパの魔女狩りで悪用された。

(右図参照)

目をつけられたら、どうあがいても魔女になるのである。

主張するものは必ず“いい者”の側に立ち、

「何処がどう悪いのか、どの点は認めなければならないのか」をすべて吹き飛ばし、

結果、「わる者は根本的に間違っている」という結論が強調される。

こんな例も載っていた。

ある母親が子供に絵を習わせるかどうかを父親に相談した。

父親「子供が習いたければ習わせればよい。才能があるかどうかもわからないのだから」

母親「はじめから才能がないと決めつけるのは子供を選別することにつながる。いますぐ習わせるべきだ」

ここでは、選別を持ち出し、習うべきに持ち込むのが二分法。

普通、選別という言葉が強烈すぎて、「いや、そんなつもりでは・・・」とひるんで二分法に巻き込まれてしまう

つまりこの、”そもそも選別をしてはいけない”という前提を話の中に無理やり持ち込み、二分法で判断させるのは強弁以外の何物でもない。

本来であれば、ピアノでも水泳でも習うものは色々あるのに、その選択肢を議論の中では全て吹き飛ばし、絵を習わせるべきか否かの判断に持ち込んでいる。

この様に、実際には山のようにある選択肢をあたかも二つしかないような錯覚に陥らせ、判断させるのが二分法。

感情的になる場合に使われる事が多いらしい。

相殺法

相手の言っている言い分に対し些細なことを持ち出し相手の言い分を帳消しにしてしまうこと。

これは強引な方が勝つことが多いそうだ。色々な例がのっている

母親「A君、宿題すんだ」

息子「ママは洗濯すんだのかよ」

泥棒が捕まったとき 

「他にも泥棒はいるのに、なんで俺だけ捕まえるんだ」

全て、自分の問題を他にすり替えて、逃げようとしている例である。

これまた会社でもよく聞かれる。

上司   「これって、ちゃんと計算したのかよ?」

設計者 「やってはないですが、、、、。でも、他に計算せずに図面出している部品なんて山ほどあるじゃないですか」

確かにそうではあるが、指摘された計算をやらない理由にはなっていない。

切り返しは、

上司   「他は知らない。計算するのが君の仕事」

で十分。

議論を元に戻し、仕様がOKかどうかの検証に焦点を当てなおすのである。

追記

強弁は以下の3つ

  • 小児型強弁法
  • 相殺法
  • 二分法

どれをとっても(気を付けてさえいれば)、論理的に破綻しているのでわかりやすいし、切り返しやすい。

見抜きづらいのは”詭弁”である。次の記事にて

追記 2

ついでに、最近のみた二分法による強弁をひとつ。

コロナワクチン接種に対する世の中の風潮、

A 「 コロナワクチン、接種した?」

B 「 コロナワクチンって、接種したい人が打てばいいんじゃないの?」

A 「打たないと人にうつす可能性があるから、社会の迷惑。打つべき。」

個人の健康を気にするのであれば、ワクチン接種は個人個人のリスク低減目的。完全に個人の意思。

社会を気にするのであれば、コロナ感染者が外を出歩き、感染を広げる事が社会としての問題で、その対策が必要(個人がワクチン接種する/しないの話ではなく)。

たぶん、

”出歩くには全員陰性証明要 +ただしワクチンを打った人は免除”

とかの社会としての問題に直接つながる解がまっとうなはず。やる事はかわらないだろうけど。。
(ただ、接種する/しない/決めていないは問われない)

ところが、である。

”社会の迷惑”を持ちこむ事により、他の全て吹き飛ばし、ワクチン接種する/しないの二分法が使われている。

  • ”いい者”側:ワクチン接種派(した人)が、正義の味方側で主張。
  • ”わる者”側:接種していない人/したくない人/ しない人で、接種するように説得される側。
    何故か肩身の狭い雰囲気が作り出されている。

これは強弁を使った誘導。
わざわざ作る必要のない分断を作っている(反ワクチン派とか生み出しているし。。)。

-> 二分法による悪影響である

まぁ、おすすめは二分法に気づいたら、同じ強弁を他人に使わない事かな。

魔女狩りをやっていた時代じゃないんだし。。。

(自分は接種してしまったけど、どんな理由であれ接種していない人の意思/理由を尊重する社会の方が生きやすそう。。。。時代はSDGsっていうしね)

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