前回の記事は詭弁術の導入と論点のすり替え方法
今回から論理っぽいのに、詭弁になってしまう誤りについて
主な論理的推論法:演繹と帰納について
演繹法
”前提”から”結論” を得る論理的推論法。事実/原理原則から具体的な結論を導き出す推論法。
すべての前提が”真”であれば、結論は常に”真”
(前提条件に情報の全てが含まれ、結論で情報量が増えることはない)
<演繹法による推論例> (三段論法)
- <前提1>すべての犬は動物である <前提2>すべての子犬は犬である
- <結論> よって、すべての子犬は動物である
(三段論法についてちょっと細かい版をこちらに)
帰納法
”仮説” を立てる際に用いられる論理的推論法。”一連の観察/事実”から、広範な一般化や原則(普遍的な法則)となる仮説を導き出す推論法
(それがどこに帰属しているか(収まっているか)を考えて、共通項を見出す事により一普遍的な法則を見出そうとする推論法)。
帰納法ではすべての前提が”真”であっても、結論が”真”であるとは限らない。
(前提に含まれる情報量以上の情報が結論で含まれる場合がある)
<帰納法による推論例>
人が酔っ払う理由について、
- <前提1>ビールにはアルコールが含まれている <前提2>ウイスキーにはアルコールが含まれている。
<結論>よって、(おそらく)アルコールは人を酔わせる ←正しい仮説 - <前提1>ビールには水が含まれている <前提2>ウイスキーには水が含まれている。
<結論>したがって、(おそらく)水は人を酔わせる ←間違った仮説
また、帰納的推論は、一連の観察結果から広範な一般化や原理を導き出す様々な推論方法を指す事から、以下の推論法が帰納的推論法として扱われる。
- 枚挙的帰納法(狭義の帰納法):複数の事実から一般的な仮説を導く推論法
(<-上の例で人が酔っぱらう理由の仮説に使った推論法)
<前提1> A1はZを満たす。<前提2> A2もZを満たす。
<結論> したがって、(おそらく)すべてのAはZを満たす。 - 逆行推論法 : 関連する証拠を最もよく説明する(真でありそうな)仮説を”選択する”推論法
<前提1> Aは真である。<前提2> Zが真であると仮定すれば、Aはうまく説明できる。
<結論> Zは(おそらく)真である。 - 類推法:特定の事物に基づく仮説を、それらの間の類似性に基づいて他の特定の事物に適用する推論法
<前提1> AはZを満たす。<前提2> BはAに類似している。
<結論> (おそらく)BはZを満たす。
帰納法自体は(気づく気づかないは別として)普段よく使われている(これこれがこうだから、もしxxならこんな事がおきる”はず”、的な)。ただ、帰納法による結論で出てくるのはあくまでも”仮説”であり、真か偽は不明。
結論が”真”となるには演繹による推論が要。
で、、以下は、この真偽不明だとわかっている帰納法は省き、演繹にごまかしが紛れ込んで詭弁となるパターンついて、つらつらと。
命題(主張)の型の定義から
はじめは当たり前だと思っていた話が途中からだんだんおかしくなる。論点は変わっていないはずなのに、変だなと思いつつも何処が変かわからない。
対処としては、論理の定義に忠実に考えること。
一旦、基本の再確認。命題の構成から
命題(主張)の型1:逆、裏、対偶とは
ある命題「”p”ならば”q”」の言い換えに対し、逆、裏、対偶は以下

この時、
という事を忘れない事。
言い換え:逆、裏は正しいとは限らない
「1たす1は2である」という命題に対し、逆の「2は1たす1である」は正しいが、
「サルの尻は赤い」に対する逆「尻が赤いものはサルである」であるは正しくない。
この時々正しくて、時々違うところを遊ぶのが、詭弁の特徴である。
つづいて命題(主張)の型
命題(主張)の型2 :全称文と特称文
主張(命題)の型には下記 4通りの組み合わせがある。
(この主張の型はとりあえず頭の片隅にいれておく(三段論法で必要))

この特称文、全称文の置き換えでも論理学的な誤りから詭弁が発生する。
命題(主張)の型の言換えによる誤り
“部分から全体“への展開(特称文->全称文 )
「あるAは~」といっていたのを「すべてのAは~である」に置き換えるのは誤りを生む。
また“ある”の付ける先(事象)を変える事も誤りを生む。
また、女性に振られた男が、「あの女は不誠実だ」とのたまい、勢いあまって“あの”をとって「女は不誠実だ」というのは論理学的には正しくない(感情的にはどうかしらんが)。
“全体から部分”への展開(全称文->特称文)
“「全てのボルトは緩まない」というのは誤り“という主張を、部分に展開しようとして”「あるボルトは緩む」”とは置き換えるのは間違い
細かいが、、なぜなら “「全てのボルトが緩む」”可能性があるからである。一部真であるが、全体としては偽となる。
これは、「全てのAはBではない」という可能性が元の主張に含まれていたのに、置き換えた時点でこれがごっそりと抜け落ちるためである。
図で描くと明確ではあるのだが、言葉ではごまかされやすい (下図 参照)。

さらに。。
「~は誤りである」-> (「~とはいえない」or 「~とは限らない」)と言い換えられると、いっそうもっともらしく聞こえてしまう。 (例えば、”全てのボルトは緩まないとはいえない” と言われると、ふむ、”あるボルトは緩む”って事ね、と理解してしまうかと)
(「~とはいえない」 or 「~とは限らない」)は、「~の時もあるし、そうでないときもある」 という意味でしかない事を覚えておく。一部真は真である。
この紛らわしさは、引っかかりやすい。
帰納法の誤用
部分から全体への展開の誤りの例として、こんな例も記載されていた(別の言い方をすれば、帰納法の誤用)。
要は部分的な情報のみであるのに、あたかも全体として判断できるかの様な錯覚に陥ってしまう危険性。
(帰納の結論(仮説)として ”~原因かもしれない” とすればおおいにありだが、演繹の結論として ”~原因である”とするのは間違い)
事実として明らかにおかしい事から、この間違いはすぐに気づくが、論理的な間違いには気づきにくい。
逆にいえば、 誤りである事が明らかではない結論に対してつかえば、その説が正しいと誤解される可能性がある。
ちなみに、実生活の判断においては、部分的な情報から全体を判断する事(帰納法)はよく使われるし、聞く人も誘導されやすい。
正しいかどうかは別として、これ自体は詭弁ではない(”らしいね”となっているので、ただの仮説(帰納法))。で、その場ではたぶん、”へーそうなの”の噂レベル情報。
ただ、それを聞いた人が、次に”○○は酒を飲まない”を前提(理由)に使って何かの結論を導いた場合、当然その結論は正とはいえない(演繹であれ帰納であれ何であれ、前提が”真”である事は当然)<-前提自体をごまかしていれば詭弁。
また残念ながら、その結論を聞く人からしても(前提を疑わない限り)結論が断定できない事には気づけない。
これもよく使われるので要注意。
対処方法は、まぁ、根拠が確認できないような話は ”全て話半分”、でいいかと。
さて次の記事にて、演繹的に結論を導くための三段論法の概要とそれに使われるごまかし(詭弁のモト)について