はじめに
前回までの承諾誘導を踏まえ、少し戻って、今回は意思決定構造(ビリーフシステム)自体がゆらぐ事について。
今回は、社会心理学からみた人間の精神過程と行動の理論の基礎について。
意思決定を行う際に使用する自分の意思決定構造(ビリーフシステム)というモノは全く揺れ動かないというものではなく、状況に応じて常にその時の自分に都合よく適応させてしまう傾向がある。
自分の内部に矛盾が生じる事態を解消するためではあるが、あー、確かにそういう風に脳みそが動くなぁと。
今回も参考にしているのは以下の本。
認知的不協和理論
一般的にひとは正しいと思うこと、好きなことに従って行動すると思っているかもしれない。
しかし、逆に行動する事が正しいことになったり、好きになったりする事をあまり意識していないものと思われる。実際には前者よりも後者の方がよく起こりうる事が、社会心理学によって確かめられている。
つまり行動することが、内面の認知や感情を変化させる。この様な、認知感情行動の関係を説明するのが、「認知的不協和理論」(Cognitive dissonance theory:Festinger 1965)である。
これは自分自身の行動に関するあらゆる知識、意見、信念を認知とし、これら個人の持つ認知要素の二つが矛盾している時、欲求不満やアンバランスといった心理的な緊張状態が引き起こされる。
このような状態を“不協和”とよぶ。
そして人は一般に、この様な不協和事態を好まず不快になり、調和やバランスの取れた心理的に快い協和事態を獲得しようと動機付けられる。また人は不協和を低減しようとするだけでなく、不協和を増大させると思われる情報や状況を、進んで回避する。
つまり、人は自分自身の内部に矛盾がないように努力すると言う事。
これは、人は自己の「ビリーフシステム」の正しさ自体を、矛盾回避のために修正をしていく事を意味する。意思決定構造のゆらぎである。
不協和の発生
さて、不協和が生じる事態は以下の4つ
また、さらにその生じた不協和の”大きさの程度”も問題となる。
例えば、重要な試験の前に全く勉強していなかった場合と 重要ではない試験の前に全く勉強していなかった場合がこれにあたる。不協和を感じる大きさが違うのである。
他の例でいえば、社会規範を守るのが当然である人と、例えばカルト集団に属していて自分たちの規範が社会規範よりも重要な人では、社会規範を破る事について感じる不協和の大きさは違う。
不協和の低減
この生じた不協和に対して、人がとる低減の仕方については以下の三つが挙げられている。
この中の”環境に関する認知要素を変える”は、確かに要注意。
これをとる時、自分の中の不協和は解消でき安心はできるが、結局はただの自分自身へ言い訳になってしまう可能性がある。
よく注意しておかないと、次の機会対しても、やらない理由完備のビリーフシステムが反応するので、気づかないうちに将来の自分自身の行動を制限する事を招くリスクとなる。
まぁあまり真面目に理由を考えず、何かできない事があっても、単純に”今の自分ではできない”と考えれば良い <- 決して”将来の自分ができない”わけではないのでね。。。
ホントはできるようになりたかったのであれば、”いつかできるようになってやる!” での不協和解消で良い <- ”新しい認知要素の追加”による不協和解消。(まぁ、”いつか”なんて、その時決めなくても良いんだし。)
やらない理由を色々組み込んだビリーフシステムで人生進むよりも、こちらで”不協和を解消”する方が気が楽だし、次にやりたい事が色々できて面白い人生になるかと。。
不協和の低減への抵抗
続いて、不協和を低減解消しようとする時に、認知要素が抵抗する場合について
この理論の発展により、様々な人の行動への説明ができるとのこと。
認知的不協和理論からみた人の行動
大きく分けると以下の三つの効果に見られるとのこと。
- 決定後の不協和の効果
- 強制的承諾の効果
- 情報に対する選択的接触
決定後の不協和の効果
魅力的な選択肢が二つある場合、どちらか一方にコミットメントした後、人は
“選択しなかったモノがもつ望ましい特徴“ 対 ”選択したモノがもつ望ましくない特徴“
に、認知的不協和が生じることに気付くことになる。
この場合、人は認知的不協和を低減させようと、選択したモノに対してより肯定的に認知する方向に変化させ、他方では選択しなかったモノに対しての認知を否定的な方向に変化させる事が明らかになっている。
買った後、製品のカタログを再度眺めてしまうのも、この要因が一つであるとされる。
強制的承諾の効果
当人の納得のいかないような状況でも、とにかく行動において承諾させてしまった場合、「自己説得効果」がみられる。
つまり、人は自分がおこなった行動に対して、何故そうしたか理由がもてないとき、認知的不協和を経験する。そして一度行動してしまったことは取り消せないため、自分が行ったことに対する認知を変えることで、その不協和を解消するという。
例えば無理に仕事させた場合、一ドルの報酬の方が、20ドルの報酬を渡すよりも、仕事に対する魅力を感じるのである。
(人は一ドルの報酬では、つまらない仕事に対して自己説得できないため、面白い仕事だと思い込み認知をかえるのである。)
情報に対する選択的接触
これは、将来におこると予想される不協和事態を恐れて、認知的不協和を引き起こす可能性のある情報を回避しようとする、あるいは協和関係にある情報を積極的に求めていこうとする、というもの。
「情報に対する意図的接触と無意図的接触」 と呼ばれる
その他の行動理論:行動修正の理論
本来の行動修正とは社会的不適合を起こしている者に対して施される臨床の技術。薬物や外科手術によっても行うものも多いが、行動主義心理学の応用でも可能とのこと。
この行動修正は、
- “人は嫌悪する状況を回避しようとするし、快をもたらす状況へと接近する傾向にある“
といった基本的な行動原理を利用したものであり、学習の基礎である「オペラント条件づけ」の原理を基礎においているとの事。
つまり、望ましい行動を取ったものには報酬、望ましくない行動を取ったものには罰を与える事を繰り返す事により、その人の意思決定過程に影響を与える事ができるという説。(”ほめて伸ばす”というやつもこれかと)
人がある成果を得ようとする時、自己の環境に影響を及ぼそうとする習性がある事を前提としているそうだ。
その他の行動理論:自己知覚理論
認知的不協和を経験しないような状況下でも、行動を取る事が内面的変化をもたらすことを説明する理論。
これは、個人が信念思想などビリーフを明白に把握していないケースである。人間は自分自身がある事象に対してどのような考えや好意非好意をいだいているか自己判断をする際に、目に見えるような明らかな手がかりが必要であると考える。
熱があるなと感じて計ってみると38度あった。急にめまいを感じて寝込んでしまうといったようなケースである。
また新しい社会的立場に立ったとき幾分しっくりこない感じがするものであるが、数ヶ月その立場をこなすうちに違和感がなくなってくるのと同じようにフィットしていくものである。つまり内面の変化がおきるのである(地位が人を作る)。
追記
とどのつまり、人の意思決定構造(ビリーフシステム)は揺らぎ変化するものなのである。これは意識できるものもあれば、(心理的な健康を保つために)無意識の内にかえてしまう場合もある。
まぁ、言い訳を重ねたビリーフシステムとなると、ロクなモノになりそうにない気がするが、ある程度は柔軟にしておかないとイロイロと大変そう。。
根っこだけはあまり動かさず、ただ判断は揺れ動かしながら柔軟に対応できる方が健全なのかな。。。