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コミュ-3)-2.3. 詭弁術を知っておく(三段論法の定義と、その誤りを利用した詭弁について)

3) 詭弁・強弁

前回の記事は命題(主張)の定義とその型の言い換えによる誤りについて

今回から三段論法、それを使った詭弁について

三段論法の基本の定義から

まずは三段論法の定義から

三段論法の基本

ある前提から結論を導くために理詰めで説こうとする時に、よく用いられるのが三段論法である。

三段論法とは

媒概念(共通の概念)を持つ2つ命題(主張)を前提に用いて、結論を導く論法

この中の媒概念とは

媒概念:前提の2つの命題に共通に含まれる概念Xの事
<- 要は2つの前提のつなぎ役の概念:結論で消える

の事。構成は、

第一段(大前提)・・例:BはCである。
第二段(小前提)・・例:AはBである。
第三段(結論)・・ 例: 故にAはCである
(媒概念はB

の形態をとる。例えば、

「全ての人間は哺乳類である」&「全ての男は人間である」故に「全ての男は哺乳類である」

(媒概念は人間:”人間”が大前提と小前提をつなぐが、結論では消える)

図に書くと、

また、この三段論法の構成は、

  • 各段の言い換えから発生する ”三段論法の格”
  • 前述の(肯定文or否定文)/(全称文or特称文)の組み合わせ違いによる”主張の型”

から構成される

三段論法の格(主語の入替え)と主張の型

三段論法の格として、前提の各段(第一段&第二段)の組み合わせ違いにより、以下の計4格存在する。

注:第三段(結論)は全て”故にAはCである” とした場合(下図)

この各段に、命題(主張)の型(全称文or特称文、肯定文or否定文)(前述)

が組み合わされる。

合計で256通りの組み合わせの内、論法として正しいのは24通りのみ。
( 全256通り= 格4(三段論法の格が4通り)x型4(主張の型が各4通りで三段の組み合わせ))

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以上を踏まえ、 つづいて三段論法による誤りの推論

三段論法の誤り

否定二前提の虚偽

前提が二つ(大前提と小前提)とも“否定”の場合、結論は正しいとも誤りともいえない。例えば、

「全ての犬は猫では”ない”」&「全ての子猫は犬では”ない”
故に「全ての子猫は猫ではない」は”偽”

子猫を人間にかえ
「全ての犬は猫では”ない”」&「全ての人間は犬では”ない”
故に「全ての人間は犬ではない」は”正” となる。

図でかけば、

この場合「推論の形式(考え方)として誤り」と見る。

不当肯定の虚偽

前提のどちらかが否定文であれば、結論も否定文でなければならない。もし結論が肯定文であれば、論法に誤りがある。例えば、

「全ての犬は猫ではない」&「全ての子猫は猫である」
故に「全ての子猫は犬である」は”偽”

当然「全ての子猫は犬ではない」であれば”正”

多くの場合明らかにおかしいため気づく。詭弁には使えない。

特称二前提の虚偽

前提が二つとも特称文「ある~」の場合、結論の真偽は保証されない
これも否定二前提の虚偽と同様推論の形式として誤り。例えば、

「ある金持ちはうそつきである」&「あるユダヤ人は金持ちである」
故に「あるユダヤ人はうそつきである」(媒概念は金持ち )

は推論としては成立していない。

(そうかもしれないし、そうでないかもしれない。)
(「あるユダヤ人はうそつきではない」 も成立する。つまり、これだけの前提だけでは不十分)

媒概念曖昧の虚偽

媒概念に、二通りの意味を当てはめる事は詭弁となる。例えば、

“Nothing is better than my wife.” & ”A penny is better than nothing.”
Hence “ A penny is better than my wife.”

「カミさんより良いモノは何もない」&「1ペニーある方が何もないより良い」
故に「カミさんより1ペニーの方が良い」

とするのは詭弁

この場合、媒概念 ”Nothing” に二通りの意味を当て込んでいる。これもよく詭弁で使われる。

いつの間にか使っている言葉の定義(意味)を微妙に変える、これは注意していないと気づきにくい

四個概念の虚偽

上の媒概念曖昧の虚偽もこの四個概念の虚偽に含まれる。

上の例では、媒概念である”Nothing”(B)に、二つの意味(B1とB2)をもたせて

「B1はCである」&「AはB2である」故に「AはCである」

と三段論法にA、B1、B2、Cの4つの概念を使ったため虚偽となった。

これと同様に媒概念 B ではなく A,C を二つの意味につかった場合も当然虚偽となる。

例えば、

「奈々子は女である」&「隆史の生きがいは奈々子である」
故に「隆史の生きがいは女である」

とするのは詭弁

大前提の”女”を”一人の女”と正確に定義してあれば立派な三段論法であるが、曖昧な定義が故に結論の”女”に”女遊び”という意味が発生している。これが詭弁(単に日本語の使い方が雑なだけの場合もあるが。。)。

詭弁が含まれていると”おや?”と気づく事が多いが、どこがおかしいのかはすぐにはわからず話に流されてしまう。要注意。

さて、三段論法にもそれなりの基本則がある。次の記事にて

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