前回の記事にて、強弁について書いた。
引き続き、次は詭弁について
理屈抜きの押しの一手が「強弁」、多少とも論理や常識を踏まえて相手を丸め込むのが「詭弁」。
再度この本をベースに
詭弁術とは
「詭弁」術とは、多少とも論理や常識を踏まえて相手を丸め込む術。
詭弁の起源は不明ではあるが、飛躍的に発展させたのはギリシャ時代の「ソフィスト」たちだそう。
言葉を武器として真理を追究する哲学者たちの誕生とともに発展していった。
わかりやすい詭弁としては、溺れ死んだ金持ちの話がある。
これが詭弁家である。
さて、強弁と詭弁を厳密に区別することは難しい。
あえていうなら有無をいわさず押し付けるのが強弁、なんとなくその気にさせるのが詭弁だそうだ。
当然詭弁にも二分法と相殺法をも含む。
まぁ、あてにならない話、しゃべっている本人がよくわかっていない話、根拠があやふやな話は大体詭弁が混じっている可能性が高い。
「定義をあいまいにして、結論を簡潔に、関係のないことを長々と述べる」 のも詭弁のうちの一つとの事。
総じて、以下が詭弁の主なテクニックとしてあるとの事。
- 論点のすり替え
- 主張の言い換え
- 三段論法における虚偽
- 両刀論法(ジレンマ)における虚偽
- 消去法(選言的三段論法)における虚偽
- ドミノ理論における虚偽
上から順に次のページ以降にて
論点のすり替え
議論のはずみ
議論のはずみで議論が横道にそれてしまうのはよくあること。
詭弁家は意識をして「仕掛けた」はずみを作る。
仕掛けに乗らないこと、気付いたら議論を基に戻す必要がある。
論点をすり替え(はぐらかし)
論点をすり替えて、相手の追及をはぐらかす。
同じ話題から別の関係のない結論をわざと導く。
論点をすり替え(感情に訴える)
論点をすり替えて、相手の感情に訴え感情論から結論を導き出させるように周囲を持っていく。
人が感情的になりやすいポイントを論点から結論までにうまく組み込んでいく。
雑誌のゴシップ記事なんかに多い。
命題(主張)の型とその言い換えによる誤り
はじめは当たり前だと思っていた話が途中からだんだんおかしくなる。
変だなと思いつつも何処が変かわからない。対処としては、論理学に忠実に考えること。
一旦論理学の基本の再確認。命題の構成から
命題(主張)の型1:逆、裏、対偶とは
ある命題「”p”ならば”q”」の言い換えに対し、逆、裏、対偶は以下
この時、
という事を忘れない事。
言い換え:逆、裏は正しいとは限らない
「1たす1は2である」という命題に対し、逆の「2は1たす1である」は正しいが、
「サルの尻は赤い」に対する逆「尻が赤いものはサルである」であるは正しくない。
この時々正しくて、時々違うところを遊ぶのが、詭弁の特徴である。
つづいて命題(主張)の型
命題(主張)の型2 :全称文と特称文
主張(命題)の型には下記 4通りの組み合わせがある。
この特称文、全称文の置き換えでも論理学的な誤りから詭弁が発生する。
型の言い換えによる誤り1 :“部分から全体“への展開(特称文->全称文 )
「あるAは~」といっていたのを「すべてのAは~である」に置き換えるのは誤りを生む。
また“ある”の付ける先(事象)を変える事も誤りを生む。
また、女性に振られた男が、「あの女は不誠実だ」とのたまい、勢いあまって“あの”をとって「女は不誠実だ」というのは論理学的には正しくない(感情的にはどうかしらんが)。
部分から全体への展開の誤りには、こんな例も記載されていた。
要は部分的な情報のみであるのに、あたかも全体として判断できるかの様な錯覚に陥ってしまう危険性である。
事実として誤りである事からおかしい事にはすぐに気づくが、論理的な間違いには気づきづらい。
逆に、 事実として誤りである事に気づけなければ、正しいと誤解する可能性がある。
よく使われるので、要注意。
但し、実生活の判断においては、論理的に断定しがたく、部分的な情報から全体を判断する事(帰納法)は、よく使われる。
これは詭弁ではない。
型の言い換えによる誤り2: “全体から部分”への展開(全称文->特称文)
“「全てのボルトは緩まない」というのは誤り“という主張を、部分に展開しようとして”「あるボルトは緩む」”とは置き換えるのは間違い
なぜなら “「全てのボルトが緩む」”可能性があるからである。
一部真であるが、全体としては偽となるのである。
これは、「全てのAはBではない」という可能性が元の主張に含まれていたのに、置き換えた時点でこれがごっそりと抜け落ちるためである。
図で描くと明確ではあるのだが、言葉ではごまかされやすい (下図 参照)。
さらに。。
「~は誤りである」-> (「~とはいえない」or 「~とは限らない」)と言い換えられると、いっそうもっともらしく聞こえてしまう。
(例えば、”全てのボルトは緩まないとはいえない” と言われると、ふむ、”あるボルトは緩む”って事ね、と理解してしまうかと)
(「~とはいえない」 or 「~とは限らない」)は「~の時もあるし、そうでないときもある」
という意味でしかない事を、覚えておく。一部真は真である。
この紛らわしさは、引っかかりやすい。
三段論法
まずは三段論法の定義から
三段論法の基本
ある前提から結論を導くために理詰めで説こうとする時に、よく用いられるのが三段論法である。
この中の媒概念とは
の事。構成は、
第一段(大前提)・・例:BはCである。
第二段(小前提)・・例:AはBである。
第三段(結論)・・ 例: 故にAはCである
(媒概念はB)
の形態をとる。例えば、
図に書くと、
また、この三段論法の構成は、
- 各段の言い換えから発生する ”三段論法の格”
- 前述の(肯定文or否定文)/(全称文or特称文)の組み合わせ違いによる”主張の型”
から構成される
三段論法の格(主語の入替え)と主張の型
三段論法の格として、前提の各段(第一段&第二段)の組み合わせ違いにより、以下の計4格存在する。
注:第三段(結論)は全て”故にAはCである” とした場合(下図)
この各段に、命題(主張)の型(全称文or特称文、肯定文or否定文)(前述)
が組み合わされる。
合計で256通りの組み合わせの内、論法として正しいのは24通りのみ。
( 全256通り= 格4(三段論法の格が4通り)x型43(主張の型が各4通りで三段の組み合わせ))
以上を踏まえ、
以下が三段論法による誤りの推論
三段論法の誤り
否定二前提の虚偽
前提が二つ(大前提と小前提)とも否定の場合、結論は正しいとも誤りともいえない。
例えば、「全ての犬は猫ではない」&「全ての子猫は犬ではない」故に「全ての子猫は猫ではない」は偽であるが、子猫を人間にかえると正である。
この場合「推論の形式(考え方)として誤り」と見る。
不当肯定の虚偽
前提のどちらかが否定文であれば、結論も否定文でなければならない。
にもかかわらず、結論が肯定文であれば、論法に誤りがある。
例えば、「全ての犬は猫ではない」&「全ての子猫は猫である」故に「全ての子猫は犬である」は偽であるが、「全ての子猫は犬ではない」にかえると正である。
多くの場合明らかにおかしいため気づく。詭弁には使えない。
特称二前提の虚偽
前提が二つとも特称文「ある~」の場合、結論の真偽は保証されない。
これも否定二前提の虚偽と同様推論の形式として誤り。
は推論としては成立していない。(そうかもしれないし、そうでないかもしれない。)
つまり、「あるユダヤ人はうそつきではない」 も成立する。
これだけの前提だけでは不十分)。
媒概念曖昧の虚偽
媒概念に、二通りの意味を当てはめる事は詭弁となる。
この場合、媒概念 ”Nothing” に二通りの意味を当て込んでいる。これもよく詭弁で使われる。
いつの間にか使っている言葉の定義(意味)を微妙に変える、これは注意していないと気づきにくい
四個概念の虚偽
媒概念曖昧の虚偽もこれに含まれる。
上記は媒概念BをB1とB2の二つの意味で使い
と三段論法にA、B1、B2、Cの4つの概念を使ったため虚偽となった。
これと同様に媒概念 B ではなく A,C を二つの意味につかった場合も当然虚偽となる。
例えば、
C1=一人の女と正確に定義してあれば立派な三段論法であるが、曖昧な媒概念が故にC2=女遊びという意味が発生している。これが詭弁。
三段論法内の命題(主張)の規則
命題における概念:包むということについて
一つの命題の概念にて「包まれている」「包まれていない」に考慮することが役に立つ。
概念Xが含まれる場合とは(右図)
「(全称文)全てのXは~」 もしくは「(否定文)~はXでない。」の場合
概念Xが含まれない場合とは(右図)
「(特称文)あるXは~」もしくは「(肯定文)~はXである。」の場合
つまり、
例えば「ある詩人は金持ちではない」といった主張の場合、
「詩人」は含まれないが「金持ち」は含まれる。
また、「全ての妖怪は超能力者である」という主張では、
「妖怪」は含まれるが「超能力者」は含まれない。
さて、これを踏まえ、三段論法には次の規則がある。
三段論法における、”包むということ”の規則
媒概念は二つの前提の少なくとも一方で、包まれていなければならない。
「ソクラテスの妻は人間である」&「ある人間は哲学者である」
故に「ソクラテスの妻は哲学者である」
は、媒概念「人間」がどちらの前提においても包まれていない。
-> 結論で限定できない。
この種の詭弁を「媒概念を包まない虚偽」という。
->この場合、小前提で「全ての人間は哲学者である」であれば成立つ)。
前提で包まれていない概念を、結論で包んではいけない。
「ソクラテスの妻は男ではない」&「ある男は子持ちである」
故に「ソクラテスの妻は子持ちではない」。
前提で包まれていない概念「子持ち」 を、結論で包んでいる。
(前述の媒概念「男」は大前提で含まれてはいるが、、)
この種の詭弁を「不当に包む虚偽」という。
三段論法の複合形
三段論法には色々な変形、複合形がある。変形の一例として
とする論法である。Pに「犬が西を向いている」、「Qに尾が東を向いている」を与えるとよい。
また、複合形の一例として“アリストテレスの連鎖式”と呼ばれる次の形がある。
“風が吹けば桶屋が儲かる”はこの論法。
両刀論法(ジレンマ)
基本形としては。P,Q,R,Sを命題とする。
例としては、ギリシャ時代に母親が息子に語った言葉の一部。
要は、母親は息子に“お前は人前で話さない方がよい。”という事をいいたかったらしい。
世間も怖いし、神様も怖い、進退きわまるジレンマである。
この様に事態を「Pであるか、さもなくばQである」と二つに分けて追い詰めていくとき、
分けられた事項P、Qを角という。
その角が二つのものを両刀論法、三つのものを三刀論法、四つを四刀論法、五つ以上を多刀論法という。
両刀論法は以下の四つに分けられる。
上記4つは図を描くと分かりやすいが、複雑なため、実際には詭弁に陥る事が多い。
また、詭弁として使われる場合には、
小前提「Pであるか、またはQである」に二分法を持ってきてごまかされる事が多い。
選言不完全の虚偽と呼ばれる、選言とは「または」による場合分けの事。
先のギリシャの母親の例からすると、実は
- 第一段では“人に良く思われる真実をしゃべる”
- 第二段では“意味のない事をしゃべる”
という選択肢もあるが、そうそうは見抜けない。
消去法(選言的三段論法)
答えの可能性のない物を消し込んで行き、最後に残った答えに対し確認を行い、正解と推定する方法
数ある答えの中に正解が存在すれば問題はないのだが、無い場合には最後に残ったものが自動的に正解となってしまうため、結果詭弁となる。
詭弁家は最後の結果の確認作業を巧妙に誤魔化す。
また別の例として、
ある事項に対する戦術(解決策)がT0~T9まで存在したとする。
ある者は
「T0~T9以外の手法では解決は出来ない」
「T1~T9までは実行不可能である」
よって「正しい戦術はT0である」
しかしある者は
「T0~T9以外の手法では解決は出来ない」
「T0~T2までは実行不可能であり、T4~T9までは非現実的である」
よって「正しい戦術はT3である」
この例から見られるように、ある場合に消去法を使用した場合、望みの結論を導くことは出来る。
理由は何とでもなるのである。
これもよく使われる。
前提条件をザーッと一気に話をして、そこから消去していき、これしかない!みたいな主張をする輩がそうである。
また、消去法の基本形としては以下の二つ
正しい論理を使用している場合、
- 結論否定型の場合、概念BとCは互いに相容れない概念でなければならない。
- 結論肯定型の場合、概念BとCとで概念Aに当てはまるもの全てを尽くしていなければならない。
ここがおかしければ、主張自体がおかしい。要注意。
例えば、
「この図形は円か三角形で定義できる」という主張は、詭弁において結論否定型は使いやすいが、結論肯定型には使いにくい。
この場合、結論肯定型においては、結論を肯定しなければならないので、結論の断定理由が“?”であると、視点が条件にさかのぼり、そこから主張自体があやしいことがすぐにわかる
(図形は他にも四角形、六角形・・山ほどある)。
結論否定形においては、結論自体は間違いではないので、主張のあやしさは指摘されないかもしれない。。
よって、前提が曖昧にもかかわらず、“これしかない“との結論に導くには結論否定型は便利。
確認の視点が主張までいかず、条件、結論までで視点とまる可能性が高いためである。
ほかにも、
「犯人はA,B,CまたはDである」といった前提は、
真犯人が必ず四人の中にいなければ結論肯定型に持ち込めない(そもそも意味をなさない)。
また、共犯の可能性を考えると結論否定型の前提としても、使う事ができない。
大前提をめぐるこれらの誤りは「選言不適切の虚偽」と呼ばれ、消去法乱用の隠れた原因であり、大前提の省略、曖昧にされている時は、詭弁となる可能性が高い。
ドミノ理論
これは「一つが倒れると全てが倒れる」理屈のこと。
となり結果「よい人生を送るためには、よい幼稚園へ」。
結論がおかしいと思うときにはどこかに詭弁が入り込んでいる可能性がある。
この場合は二分法+ドミノ理論である。
ドミノ理論の対処法は、結局「本当にドミノ倒しが起こるのか?」「それにもし従った場合のプラス効果とマイナス効果のバランスは取れているのか?」のチェックしかない。
強弁、詭弁への対処
結局、強弁/詭弁に対処するには、
- 「健全な常識をもつ」
- 「言葉の意味に敏感になる」
- 「数字にだまされず、かつバカにはしない」
- 「無理な説得はしない」
- 「時間をおしまない、議論を打ち切らない」
- 「結論の吟味」
- 「わからないことを恥じない」
といった事につきるのだろうとの事。
また、相手が詭弁を使っていると気づいても、議論の最中に“それは詭弁だろう!”と指摘をしてしまうと、多くの場合紛糾する。
無駄に議論を盛り上げるのではなく、詭弁を使わなければならない相手の意図の理解、もしくは探る事が出来るぐらいの“ゆとり”、があれば上等。
目的は議論から強弁/詭弁を排除し論理に基づいた結論を導く事であり、相手の詭弁を指摘することではない。
なんだかんだと、正論にはかなわないものである。
逆に、信頼感を得るためには土台(根拠)を明確にし、詭弁を織り込まずに正確な論理で話を進めれば、必然的に同意を得やすくなる。
強弁/詭弁についてはこちらがおススメ