コミュ-1)-2. 議論の誘導

議論/討論について

世の中には口のうまい人が確かにいる。立て板に水のように話をしていて、聞いていてなるほどね。。と。
ただ、後で考えると何か違和感が残る場合もある。
しかも、どこに違和感があったのかもわかりにくい。

あれっ??と。
うまい事、言いくるめられているのである。

これに似たような状況は、身近な議論でもよく起こる。
納得できない結論にいつの間にか説得されている状況(反論するきっかけもないこともある)。

まぁ、長いものに巻かれる状況で問題なければ、それはそれでOKなのであるが、流れを作る、もしくは流れを変えなければならない時に、議論で何が起きているかを気づける事は、色々と役に立つ。。

つまり議論というモノにも、様々な知識と技術がある。
(技術屋さんと言えども、モノばかりを相手にしているわけにもいかないし・・・。)

理詰めの論理学の王道からちょっと外れて、よく使われる強弁、詭弁について書いておこうと。相手のペースにに巻き込まれて、煙に巻かれてしまうと理詰めにもならないし。。。

その前に、ちょっと 相手のペースにに巻き込まれないように、議論/討論自体が誘導される場合ついてから始めてみる。

議論/討論の誘導

議論/討論の枠組み

意識するしないにかかわらず、議論/討論には

  1. 前提条件(つまり議論の土台)が必ず存在する。
    -> 無条件に ”常識” が代用される場合もある。
  2. 意見は、論理的である必要があるが、参加者によっては、強弁/詭弁を使って意見を押し通す/誤魔化す事も不可能ではない
  3. 成果は、結論に至る事である。
    もちろん、議論が発散して成果なしとなる場合もある。

の背景をもっている。

誘導される議論/討論

納得できない結論に至る背景

まっとうな議論/討論の仕方は、論理学等々の本に任せるとして、、、納得できない結論に至る事の防止策を主眼に。

議論/討論が誘導 され、”あれ?どこか納得できない。。。” に至る背景から。

納得できない結論というのは、主に

  1. 他人に議論/討論の土台を決められる
  2. 他人の話の枠(説明ロジック)に取り込まれる。
    他人が提示する判断基準で思考してしまう。

時に発生する。特に気を付けなければならないのは、1.である。

結論は議論が始める前から決まっている

議論/討論の上手な人は、

議論の土台(前提条件、根拠)を気づかれないように、参加者に無条件で受け入れさせている

この重要性を十分に認識しているからである。

例えば以下のセリフ、議論が始まる前に聞いたことがないだろうか。。

  • ”常識的に考えて・・”
  • “○○は当たり前でしょ。。。”
  • ”○○までは議論の余地はない。”
  • “○○は必須条件だから、、”、
  • “○○さん(権威者)も言っているけど、、”

これらは、もしかすると”個人の見解”かもしれない。

ただこれを常識として伝えれば、議論の前提条件としての刷り込みができるのである。

つまり、議論を始める前から、参加者に ”知らない方が非常識” と思い込ませる事ができるのである。

より強く断言して、参加者が、“知らない”、“わからない”といいづらい雰囲気形成をする場合もある。
(特に立場が上位の人/権威者となると、参加者はこの条件をより簡単に受け入れる。)

さてそうなるとである。

この前提条件にあえて疑問を呈する発言をするにには、非常識と思われてもいい!という、本来なら”いらぬ勇気”が求められるのである(できなければ、はじめから議論に流されることになる。)

人の心理(人のプライド)を上手に利用しているともいえる、、、。

まずは、これらのセリフを聞いたらアンテナを一段あげて注意をした方がよい。

これを聞いた時の、人の意思決定に与える影響 / 仕組みについてはこちらを。
人の意思決定の性質として、そうなってしまう可能性がある事は知っておいて損はないかと。

前提条件に注意を払う必要がある事のもう一つの理由

さてもう一つの理由は、その後に続く議論に与える影響である。

一旦よくわからないまま与えられた議論の前提(土台)を受け入れると、今度は受けいれた事実/知ったかぶりをした事実を巻き戻しにくい心理が働くため、その土台自体を否定できなくなる。

  • 参加者は自分で自分に制限をかけていく事になる。

結果、その議論の土台は次の根拠となり、より強固でアンタッチャブルなものとなっていく
(疑惑があろうとも、である)。

そこに築かれていく議論/論理である。後は、参加者は自分で自分に制限をかけ自分の視点を封印し、相手の論理&判断基準に乗らざるおえなくなる。

結果、納得いかない結論でも説得される流れになる。

-> 自分で考えているようでも、実は相手の手の内からは出ていく事はできない。。。

納得のできる結論に導くには

つまり、納得のできる結論に陥る事を避けるには、

  1. 議論の土台(前提条件、前提根拠)提示に崩す
  2. 議論時に相手の説明論理、判断基準を崩す

のどちらかが必要となる。

だが、、、相手が十分に準備している場合、その場で切り崩すのは非常に難易度が高い。

相手は用意周到、こちらは丸腰状態からの開始なのである

結論から言うと、議論を別の方向に導くには、上記の2条件のうち、1.の“前提条件、根拠を崩す”方が容易である。

これは、議論の土台が崩れれば、それを前提に相手が考えてきた説明論理は用をなさなくなるためである。

元の議論の土台を崩した後に、自分の思う土台を混ぜて構築する事に集中すれば、後は必然と別の結論が導かれる(議論が論理的であれば、、であるが、、)。

結局必要な事は

  1. 相手の議論の土台に再度光を当てて、根拠を確認する(再度検証の土台にのせる)
  2. 相手の説明の土台(根拠)に曖昧さ、強弁、詭弁が含まれていないかをよく見る

この二つのみである。

-> 怪しいところは教えて!という :知ったかぶりをせず、謙虚に教えを乞う

この心構え。

議論の度にやると、ただのややこしい輩になるが、大切な場面では必要。あとは、これを行う勇気があるかどうかである。

追記:自分自身が間違っている可能性

ちなみに、確認して土台は正確、説明論理&判断基準も論理的にされているものであったとする。
その上でも、導かれる結論に納得ができないのであれば、それは

自分自身がどこかで間違っている可能性が高い

要注意。

土台が確かなもの(納得のできるもの)であれば議論にのっかり、今度は説明論理&判断基準に、曖昧さ、強弁、詭弁が入り込んでいないかを確認しながら話を進めればよい。

この強弁/詭弁についてもある程度知識があると見抜きやすい。

強弁、詭弁については面白い本がある。1976年初版の本で随分と長いこと生き残っている本。おすすめ。

正しい論理の組み方についての本は多数あり容易に入手できるが、実用的なのはもしかするとこっちかも。

次は、この本をベースに強弁についてまとめてみる。

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