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[論理] 詭弁を見抜く2-2:論理的推論:命題(主張)とその型について、またその誤りを利用した詭弁について

詭弁術

命題(主張)の型

はじめは当たり前だと思っていた話(正しい説だと思っていた話)が途中からだんだん違和感を感じる。論法はおかしくないはずなのに、何処が変かわからない。

演繹にごまかしを紛れ込ませた詭弁の可能性がある。

対処としては、演繹の定義に忠実に考えること。

というわけで、一旦命題の基本から再確認。

命題(主張)の型1:逆、裏、対偶とは

命題(主張)を、「”p” ならば ”q” である」、「”p” は ”q” である」の型をベースとれば

「”p”ならば”q”」の言い換えである「逆」「裏」「対偶」は、以下となる

この時、

言い換え:常に正しいのは”対偶”のみ

  • 命題「”p”ならば”q”」の言い換えに対し、常に正しいのは”対偶”のみ
    つまり「”qでない”ならば”pでない”」のみである

言い換え:逆、裏は正しいとは限らない

  • 逆や裏は一般には成立しない。が、命題が必要十分条件である場合などには成立することもある。
    (正しい場合もあるし、正しくない場合もある)

「1たす1は2である」という命題に対し、逆の「2は1たす1である」は正しいが、
「サルの尻は赤い」に対する逆「尻が赤いものはサルである」であるは正しくない。

この時々正しくて、時々違うところを遊ぶのが、詭弁の特徴である。

つづいて命題(主張)の型

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命題(主張)の型2 :全称文と特称文

主張(命題)の型には下記 4通りの組み合わせがある。
(この主張の型はとりあえず頭の片隅にいれておく(三段論法で必要))

“すべてのAは~”という文章を全称文といい、“あるAは~”という文章は特称文という。

  • 「全てのAは~」とは、「Aであるものが存在する場合にはそのすべてが例外なく~である」という意味である
    • 形式論理では、Aが一つも存在しない場合でも反例が存在しないため真と扱われる。
      (これは「空虚真理」と呼ばれ、直感的な意味での真とは異なるため注意が必要である)
  • 「あるAはBである~」とは、「少なくとも一つは存在する」という意味である
    • ちなみに自然言語では、「ある」はしばしば「多くの場合」や「典型的に」と誤解・誤認知される事があるため、以下の特称命題を用いる際の「ある~」は、「少なくとも一つは〜」と読みかえることを推奨

さて、この特称文、全称文の置き換えでも論理学的な誤りから詭弁が発生する。

命題(主張)の型の言換えによる誤り

“部分から全体“への展開(特称文->全称文 )

「ある(=少なくとも一つの)Aは~」といっていたのを「すべてのAは~である」に置き換えるのは誤りを生む。

  • 「ある人間は酒飲みである」

だからといって、「ある」を削除して全称化したうえで対偶を取るという操作

  • 「酒飲みでなければ人間ではない」

は正しくない。

また“ある”の付ける先(事象)を変える事も誤りを生む。

  • 「ある人間は男ではない」

だからといって

  • 「ある男は人間ではない」

とはならない。

また、女性に振られた男が、「あの女は不誠実だ」とのたまい、勢いあまって“あの”をとって「女は不誠実だ」というのは論理学的には正しくない(感情的にはどうかしらんが)。

“全体から部分”への展開(全称文->特称文)

「全てのボルトは緩まない」という主張が誤りである場合、論理的に導かれるのは「あるボルトは緩む」である。

「あるボルトは緩まない」という主張自体も成立しうるが、この文の否定としては不十分である。
なぜなら、「全てのボルトは緩まない」という主張が誤りという状況であっても「あるボルトは緩まない」は成立するため、この理由での否定の根拠として不十分となるためである。

また、「全てのボルトは緩みません」と言ったのはウソでした!と聞いた場合、論理的には「少なくともどこか一つのボルトが緩んだのね」が導かれるが、これには「全てのボルトが緩みました」の意味も含まれる。

一般に、「すべてのAはBではない」が偽である場合、論理的に導かれるのは

  • 「あるAはBである」

である。つまり「少なくとも一つのAはBである」。

したがって、「あるAはBではない」(=「少なくとも一つのAはBではない」)とすることは、否定としては不十分であり誤りである。

この変換は単なる言い換えではなく、

  • 「すべて」を否定すると「ある(=少なくとも一つ)」に変わる

という論理構造の変化によるものである。


また、

  • 全称肯定の否定 → 特称否定
    • 「すべてのAはBである」→ 偽 ⇒「あるAはBでない」(=「少なくとも一つのAはBでない」)
  • 全称否定の否定 → 特称肯定
    • 「すべてAはBでない」→ 偽 ⇒「あるAはBである」(=「少なくとも一つのAはBである」)

つまり完全に対称な関係になっている。


ちなみに、

  • 「すべてのAはBである」の否定は、「少なくとも一つのAはBでない」
    ← 上述の通りこれは論理的には単純な変形。

これを使えば、

  • 「〜ないわけではない」「〜ないことはない」

といった、一見意味の把握が困難な二重否定は、同様に

  • 「”すべてのAはBでないこと”は”ない(=偽)”」は、
    「少なくとも一つのAはBである」もしくは「あるAはBである」

と読みかえてしまえばよい

さらに、

「~は誤りである」を、「~とはいえない」もしくは 「~とは限らない」と言い換えられると、いっそうもっともらしく聞こえてしまう。

論理的には単に「常に真とは断定できない(反例が存在する可能性がある)」という意味にとどるが、しかし日常言語ではしばしば「むしろ逆が正しい」という印象を与えることによるものである。

つまり、「〜とは限らない」という表現が論理的には単に全称命題の否定(反例の可能性)を意味するにすぎないにもかかわらず、日常言語ではしばしば積極的な反対主張として解釈されるという言語的バイアスによるものである。

部分から全体への展開の誤りと帰納法の誤用

部分から全体への展開の誤りの見方をとり、前述の例を使えば(帰納法の誤用)。

「お酒を飲むと酔う。ビール、ウォッカを飲んでも酔う。ビールにもウォッカにも水が入っている。故に、水が酔っ払う原因である。」

要は部分的な情報のみであるのに、あたかも全体として判断できるかの様な錯覚に陥ってしまう危険性。
(帰納の結論(仮説)として ”~原因かもしれない” とすればおおいにありだが、演繹の結論として ”~原因である”とするのは間違い)

事実として明らかにおかしい事から、この間違いはすぐに気づくが、論理的な間違いには気づきにくい。

逆にいえば、 誤りである事が明らかではない結論に対してつかえば、その説が正しいと誤解される可能性がある。

ちなみに、実生活の判断においては、部分的な情報から全体を判断する事(帰納法)はよく使われるし、聞く人も誘導されやすい。

「○○は酒を飲まないらしいね。あいつが酒を飲んでいるところ見たことないもの」

正しいかどうかは別として、これ自体は詭弁ではない(”らしいね”となっているので、ただの仮説(帰納法))。で、その場ではたぶん、”へーそうなの”の噂レベル情報。

ただ、それを聞いた人が、次に”○○は酒を飲まない”を前提(理由)に使って何かの結論を導いた場合、当然その結論は正とはいえない
<-前提自体をごまかしていれば詭弁。

また残念ながら、その結論を聞く人からしても(前提を疑わない限り)結論が断定できない事には気づけない。

これもよく使われるので要注意。

詭弁の多くは、推論形式そのものの誤りではなく、前提のすり替えや言語の曖昧さによって生じる。また、「仮説」を「事実」として扱った瞬間に詭弁になる。

対処方法としては、根拠が確認できないような話は「話半分」として扱うのが無難である。


さて次の記事にて、演繹で使用される三段論法の概要とそれに使われるごまかし(詭弁のモト)について

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