概要
認知負荷理論(Cognitive Load Theory)は John Sweller が提唱した学習理論であり、人の ”作業” 記憶の容量には限界があり、学習や理解のしやすさはその負荷のかかり方によって左右されるとする理論。
まずは、理論の土台となる人間の「作業記憶」と「長期記憶」から整理してみる。
作業記憶 と 長期記憶
作業記憶(ワーキングメモリ)とは、今まさに「考えている最中」の情報を一時的に保持する場所のこと(パソコンでいえばRAM容量)。
(例:暗算している途中の数字、読んでいる文章の直前の文、会話の流れ)
作業記憶の容量は、一般に ”4±1チャンク程度” (状況・課題によって変動する)といわれる。
ちなみに「チャンク」とは意味のまとまり単位のこと(=「意味」と「構造」がまとまった単位)
(長期記憶にあるスキーマ(知識のまとまり)を利用して、作業記憶上で圧縮される処理単位)
例:N A S A
知らない人 → 4文字の英文字 → 4チャンク
知っている人 → 「NASA」という組織 → 1チャンク
同じ文字情報でも、人により1チャンクの情報量が異なる。つまり、スキーマを持つ人ほど効率的に処理できる。
一方、長期記憶とは「知識」・「経験」からなる「スキーマ(知識のまとまり)」を蓄える倉庫(パソコンでいえばROM容量)。
(例:語彙、数学公式、運転の仕方、顔の認識)
長期記憶の容量については、理論上ほぼ無制限とされている。
比喩的にいえば、ワーキングメモリは作業に使う机の大きさ、長期記憶は作業に使う資料が保存してある巨大な倉庫。
狭い机の上に物を置きすぎると作業できない。つまり、ボトルネックは作業記憶の容量制限にある。
スキーマ形成と検索可能性
さて学習は、情報入力 → ワーキングメモリで処理 → 長期記憶に保存(スキーマ形成)の流れで進む。
スキーマ(知識のまとまり)が形成されると、関連要素を作業記憶上で一単位として処理できるようになり(チャンク化)、また形成されたスキーマが増えるほど情報処理の効率があがる。その結果、作業記憶の使用量が節約され、より複雑な(深い)思考が可能になる。
逆に、知識が整理されていない・関連づけが弱い・文脈と結びついていない、といった場合、長期記憶に大量に保存されていても、必要なときに活性化できない。このとき作業記憶は「思い出すこと」に資源を浪費させ、深い思考への妨げとなる。
したがって、学習の本質は「保存量」ではなく「検索可能性」。すなわち、「状況に応じて自動的に活性化できるスキーマを構築すること」にある。
Note: 「検索可能性」:理解した本であっても、でたらめに本棚に並べていては、必要な時に見つけられない。
見つからなければ、理解していない本と同じ = 必要な時に学んだ内容が使えない、という意味に近いかと。
また、「検索可能性」の高・低については、学んだ情報が新たな仮説(帰納法による推論)の前提に使えるかどうかを指標にするのも面白いかもしれない。
→「検索可能性」の高いスキーマ(=関連付けられ整理されたスキーマ)になっていなければ、未知の局面に接したときに「xxなら○○じゃない?」なんていう新たな切り口は思いつかない。
知識・技術は使えてなんぼ、である。
認知負荷:内在的認知負荷と外在的認知負荷
さてスキーマ形成するのための学習においては、「認知負荷」がかかる。
この認知負荷は、「内在的認知負荷」と「外在的認知負荷」に分類される。
内在的認知負荷(Intrinsic Load)
内在的認知負荷とは、学習内容そのものの複雑さに由来する負荷。
- 要素の多さ
- 要素間の相互関係の複雑さ
例: 一次方程式 < 微分方程式
これは内容の本質に由来するため、完全に除去することはできない。ただし、分解・段階化によって調整は可能である。
なお、学習の目的である ”スキーマ形成に向けられる認知活動”、いわゆる本質的負荷(Germane Load)は、近年の整理では内在的負荷に統合されると説明されているため、ここでもそれにならうこととする。(旧:本質的負荷 + 内在的負荷 → 新:内在的負荷)
外在的認知負荷(Extraneous Load)
外在的認知負荷とは、提示方法や説明の不適切さによって生じる負荷。
例:無駄な装飾、散らばった説明、不必要に複雑な図、情報の分断提示
これは学習内容とは無関係な負荷であり、教育設計によって削減可能である。
理解が破綻するメカニズム
作業記憶の容量は有限である。この容量を使用する認知負荷は、
- 総認知負荷=内在的負荷 + 外在的負荷
であり、この総認知負荷が作業記憶容量を超えると、理解は破綻する。
これを踏まえれば、外在的負荷を減らす・内在的負荷を適切に調整し、認知資源を最大限スキーマ形成に向けることが、効果的な学習設計の肝となる。
例えば、名著と呼ばれる教科書は、(学習内容が難解であっても)総じて内在的認知負荷、外在的認知負荷がともに低い。
(たとえ難しい内容であっても、わかりやすい・理解しやすいと感じる(=負荷が低い))
理解が破綻しそうなとき(ヒューリスティック処理への依存の発生)
認知負荷理論によれば、人の作業記憶の容量は厳しく制限されている。この限界を超えると、情報は十分に統合・整理されず、深い理解が困難になる。
作業記憶が逼迫すると、
- 情報の精緻化処理が困難になる
- 要素間の関係を統合できなくなる
- スキーマ形成に資源を割けなくなる
となる。その結果、人は総認知負荷が作業記憶容量の限界に近づかないように、認知資源に負荷のかかる精緻な検討よりも、より認知資源を節約できる処理様式に依存しやすくなると推論できる。
このとき依存されやすいのがヒューリスティック処理である。
ヒューリスティック(例:専門家が言っているから正しいだろう、みんなが支持しているから妥当だろう、見た目が整っているから信頼できそうだ、等)とは、正確さよりも速さ・負荷軽減を優先させる”判断の近道”である。これが利用される。
<まとめ:認知負荷理論からみたヒューリスティックが優位となる背景>
認知負荷理論の枠組みによれば、人が関連スキーマを十分に自動化できていない情報に接したとき、すなわち外在的認知負荷が高い環境(情報量が過剰・刺激が多い・文脈が断片化している・感情刺激が強い場合など)では、作業記憶が逼迫しやすい状況に陥りやすいと理解できる。
このとき精緻な検討よりも、より認知資源を節約できる処理様式――すなわちヒューリスティック処理――が優位になりやすいと推論できる。
(判断の近道が可能な 権威・同調・感情ヒューリスティックへの依存)
つまり、ヒューリスティック依存は思考の「劣化」というよりも、(作業記憶容量制限下での)ヒューリスティック処理への「傾斜」による適応的処理戦略と理解することもできる。
つまり、認知負荷理論は単なる学習理論ではなく、「なぜ人は精緻な思考を維持できなくなるのか」を説明する基礎理論としても位置づけることも可能。
また、現代の情報環境を理解するには、認知負荷の構造を前提とした情報環境の設計的視点が不可欠ともいえる。
すなわち、外在的認知負荷を抑制し、内在的負荷を適切に段階化することにより、精緻化処理が可能な「認知的余白」を確保することが、人の精緻な思考を維持する上で重要となる(はずである)。
で、その情報設計について調べた覚書を以下に(「情報採餌理論」とそれに基づく情報設計)
