「男系天皇」とか「女性天皇」とか、何をそんなに盛り上がっているのだろうと
政権が変わり優先課題になったそうで、皇室典範改正がニュースになっている。
これがまた、それぞれがそれぞれの立場で、解釈を微妙に変えながら主張しているので、何を根拠に話しているのか非常にわかりにくい。
一番わかりにくいのが「男系天皇」について。
現在の皇室典範では、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これに継承する」、つまり「男系天皇」とは、その血統を守るために天皇は「男系(父系)」の血統者に限られる。
これは、初代神武天皇から受け継がれている男系の血統こそが、天皇の正統性の根幹(「万世一系」と呼ばれる)であり、日本の伝統として守るべきもの、であるという。
また「女系天皇」(女系男子天皇・女系女子天皇)に切り替わったことは、2600年以上続く日本の歴史上にないと、、
なーんて聞くと、そうか、過去の困難も乗り越えて守られてきた伝統を、現代人の判断基準で切り替えるのもどうかなぁ、、と。
が、その一方で「万世一系」なんてものは明治維新で天皇の権威付けのために作られた説に過ぎず根拠はない、今のご時世、別に男系男子でなくとも構わない、なんていう情報もある。
相反するニュースを読むと何がなんだか。。。で、Geminiを使ってちょっと調べてみた。
「万世一系」概要
「万世一系」とは、1889年(明治22年)に発布された大日本帝国憲法第1条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と明記された、明治時代における国家の基本原理の根幹を成す概念(定義)。
(なお、現在の憲法の基本原理は「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」)
ただし、この言葉が使われる以前から、「天皇の血統は途絶えることなく続いている」という意識自体は古くから存在していたとのこと。
例えば、7世紀から8世紀の『古事記』『日本書紀』の編纂時期には、すでに「天皇の家系は特別なものである」「天皇の位は特別な血筋の者だけが継ぐもの」という認識が確立されていたとされる。
また、この認識の言語化は、天皇の正当性や権威を高める必要が生じた時代背景の中で促進された。
例えば、北畠親房が著した14世紀の『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』では、当時北朝と対立していた南朝側の正統性を主張するために「天皇の血統がいかに神武天皇から神聖かつ連続的に繋がっているか」を論理立てて説明しており、ここで天皇の血統の正統性を強調する理論的な枠組みが固められたとされている。
また、19世紀の明治維新において、明治政府が徳川幕府からの国家権威を継承するために定義した新たな国家の枠組みが、大日本帝国憲法第1条の「万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」であり、これが統治のための国家の理念となっている。
つまり、今ニュースなどで取り上げられている「男系天皇が日本の伝統である」という主張の根拠として挙げられる「万世一系」という言葉が定着したのは、19世紀の明治時代の大日本帝国憲法が始まり。また、その根底にある「天皇の血統は途絶えることなく続いている」という概念は7世紀から8世紀の『古事記』『日本書紀』の頃から存在する。
「万世一系」のあいまいさ
「万世一系」が意味する「日本の天皇は、男系の血統をたどれば初代神武天皇までつながる系譜をもつ」とする概念は、「権威継承の一貫性」による「伝統の価値(アイデンティティ・政治)」を高める事には効果を持つが、この言い切りが「歴史的事実(サイエンス・歴史学)」上の反論、別解釈を生む。
というのも、
- 初代神武天皇(紀元前660年頃- )~9代開化天皇(紀元前157年頃- )までは欠史八代を含み、あくまで神話上の存在。
「実在が確認できない」ため、生物学的な男系血統の連続性を語る前提条件が成り立たっていない。 - 第26代継体天皇(507年頃- )は、歴史学上王朝交代が最も強く疑われる転換点。
- 継体天皇は応神天皇の五世孫とされるが、それ以前の天皇との直接的な親子関係を示す記録は極めて希薄。200年以上前の遠い親戚筋から迎えられた事実をもって、「別の系統(王朝)に交代したのではないか」という説が有力。つまり、ここを境に「男系血統が断絶し、別の系統が皇位に就いた」と解釈される。
より、初代神武天皇からの男系の血統の継続性に対する疑義を生むが故である。
(継体天皇以降としても1500年以上は継承されているので伝統と呼ぶには十分とも思えるが。。。)。
「男系が守られていない」という説の根拠
南北朝時代の混乱から皇統の正当性の継承には揺らぎがあるものの、継体天皇以降の男系の継承の枠組み自体は史実として確認できるとされているとされる。
「男系が守られていない」という説の根拠は、主に
- 「古代(紀元前)の系譜は史実というより物語である」
:紀元前の史実のない神話も含めている。初代神武天皇までつながっていることは証明できず、当然男系が守られていることも証明できない - 「歴史上、皇統の連続性には不明瞭な点がある」
:継体天皇は別の系統である説が有力。皇統の連続性自体が証明されておらず、初代天皇から男系が守られていることも証明できない
:継体天皇以降の文献(『日本書紀』の後半や、その後の公的な記録など)では、天皇の交代が単なる名前の羅列ではなく、「誰が誰の息子であるか(あるいは兄弟・近親であるか)」という関係性が明記。この「系譜上の連続性」があることをもって、歴史学ではこれを「男系継承の連鎖」として扱うとのこと。
に加え
- 「明治以降に作られた権威付けにすぎない」
:国民統合のために天皇家の権威が必要であり、「神話的な連続性(物語)」と「現実の政治的な継承(歴史)」を、明治時代に一つの「法的な原理」として無理やり結びつけたことによる誤謬 - 「天皇という地位が、女性天皇から子供へ直接引き継がれた事実」
:歴史上、皇族同士の結婚が基本であったため、継体天皇以降基本的には「男系」が維持されている。
が、生物学的な観点や系譜学的な見方を厳密に適用すれば「天皇という地位が、女性天皇から子供へ直接引き継がれた」という事実は「天皇の血を直接受け継ぐ母が天皇である」という側面をもち、父系継承だけでは説明しきれない「女系的な継承プロセス」を内包していると解釈されること。
また、日本の古代王権は、父系だけでなく母方の血筋も重要視する「双系的な性質」を持っていたという説もあり、男系のみを唯一の継承原理とするのは後世の解釈という指摘もある。つまり、女系の完全否定はできない
という点に集約される。
続いて初代神武天皇から現代にいたるまでの皇統を以下に
天皇系譜
青字:男系継承が不明、赤字:女性天皇
- 【神武天皇】(紀元前660年頃- ):神話上の存在のため、生物学的な男系血縁の連続性が証明不可能
- 【綏靖天皇】(紀元前581年頃- ):以下、欠史八代(実在および系譜が史実か不明)
- 【安寧天皇】(紀元前549年頃- ): ↑
- 【懿徳天皇】(紀元前510年頃- ): ↑
- 【孝昭天皇】(紀元前475年頃- ): ↑
- 【孝安天皇】(紀元前392年頃- ): ↑
- 【孝霊天皇】(紀元前290年頃- ): ↑
- 【孝元天皇】(紀元前214年頃- ): ↑
- 【開化天皇】(紀元前157年頃- ): ↑
- 【崇神天皇】(紀元前97年頃- ):歴史学上、実在が確実視される最初の天皇とされることが多いが、先代との系譜的接続が不明
- 垂仁天皇(紀元前29年頃- )
- 景行天皇(71年頃- )
- 成務天皇(131年頃- )
- 仲哀天皇(192年頃- )
- 応神天皇(270年頃- )
- 仁徳天皇(313年頃- )
- 履中天皇(400年頃- )
- 反正天皇(406年頃- )
- 允恭天皇(412年頃- )
- 安康天皇(453年頃- )
- 雄略天皇(456年頃- )
- 清寧天皇(480年頃- )
- 顕宗天皇(485年頃- )
- 仁賢天皇(488年頃- )
- 武烈天皇(498年頃- )
- 【継体天皇】(507年頃- ):先代との男系血縁関係が記録上希薄、王朝交代説の対象
- 安閑天皇(531- )
- 宣化天皇(536- )
- 欽明天皇(539- )
- 敏達天皇(572- )
- 用明天皇(585- )
- 崇峻天皇(587- )
- 「推古天皇」(592- ):先代・崇峻の異母妹。(次代は欽明天皇の男系孫)
- 舒明天皇(629- )
- 「皇極天皇」(642- ):先代・舒明の妻。茅渟王(敏達天皇の孫)の娘。(次代は欽明天皇の男系)
- 孝徳天皇(645年 – 654年)
- 「斉明天皇」(655- ):皇極天皇の重祚(一度退位した天皇がふたたび即位すること)。(次代は舒明の男系)
- 天智天皇(668- )
- 弘文天皇(672- )
- 天武天皇(673- )
- 「持統天皇」(690- ):先代・天武の妻。天智天皇の娘。(次代は天武の男系)
- 文武天皇(697- )
- 「元明天皇」(707- ):先代・文武の母。天智天皇の娘。(次代へ男系継承)
- 「元正天皇」(715- ):先代・元明の娘。草壁皇子(天武天皇と持統天皇の皇子)の娘。(次代は文武の男系)
- 聖武天皇(724- )
- 「孝謙天皇」(749- ):先代・聖武の娘。(次代は天武の男系)
- 淳仁天皇(758- )
- 「称徳天皇」(764- ):孝謙天皇の重祚。(次代は天武の男系に遡る)
- 光仁天皇(770- )
- 桓武天皇(781- )
- 平城天皇(806- )
- 嵯峨天皇(809- )
- 淳和天皇(823- )
- 仁明天皇(833- )
- 文徳天皇(850- )
- 清和天皇(858- )
- 陽成天皇(876- )
- 光孝天皇(884- )
- 宇多天皇(887- )
- 醍醐天皇(897- )
- 朱雀天皇(930- )
- 村上天皇(946- )
- 冷泉天皇(967- )
- 円融天皇(969- )
- 花山天皇(984- )
- 一条天皇(986- )
- 三条天皇(1011- )
- 後一条天皇(1016- )
- 後朱雀天皇(1036- )
- 後冷泉天皇(1045- )
- 後三条天皇(1068- )
- 白河天皇(1073- )
- 堀河天皇(1087- )
- 鳥羽天皇(1107- )
- 崇徳天皇(1123- )
- 近衛天皇(1142- )
- 後白河天皇(1155- )
- 二条天皇(1158- )
- 六条天皇(1165- )
- 高倉天皇(1168- )
- 安徳天皇(1180- )
- 後鳥羽天皇(1183- )
- 土御門天皇(1198- )
- 順徳天皇(1210- )
- 仲恭天皇(1221- )
- 後堀河天皇(1221- )
- 四条天皇(1232- )
- 後嵯峨天皇(1242- )
- 後深草天皇(1246- )
- 亀山天皇(1259- )
- 後宇多天皇(1274- )
- 伏見天皇(1287- )
- 後伏見天皇(1298- )
- 後二条天皇(1301- )
- 花園天皇(1308- )
- 後醍醐天皇(1318- )— 南北朝時代開始 —
| 北朝(持明院統) | 南朝(大覚寺統) |
| 当時の幕府から天皇として認められ、皇統を維持していたが、三種の神器を持たない | 皇統を維持し、三種の神器を保持しているため、「正統な天皇」としての形式的条件を満たす |
|---|---|
| 97.光厳天皇(1331- ) | 97.後村上天皇(1339- ) |
| 98.光明天皇(1336- ) | |
| (飛ばし) 崇光天皇(1348- ) | |
| (飛ばし) 後光厳天皇(1352- ) | 98.長慶天皇(1368- ) |
| (飛ばし) 後円融天皇(1371- ) | 99.後亀山天皇(1383- ) |
- 現在の皇室の血筋は北朝系の天皇から継承されているため、明治政府が採用したのは「心情的・史的には南朝を正統とするが、北朝の系譜も正当なものとして認める」とする説
(南朝が97-99代の3代-3人の天皇に対して、北朝が97-99代天皇に5人の天皇が存在する背景)- 「皇統の連続性を維持するためには北朝の系譜が必要不可欠だが、思想的な整合性を求めると南朝を正統にしなければならない」という二律背反に対する明治政府の苦肉の策。
- 南北朝合一以降、皇位(天皇の座)は北朝(持明院統)の系統からのみ継承されるようになり「天皇の座を継ぐ系統としての南朝(大覚寺統)」は、実質的に途絶えたとされる。
— 南北朝時代終了(後亀山天皇が後小松天皇へ譲位) —
- 後小松天皇(1382- )
- 称光天皇(1412- )
- 後花園天皇(1428年- )
- 後土御門天皇(1464- )
- 後柏原天皇(1500- )
- 後奈良天皇(1526- )
- 正親町天皇(1557- )
- 後陽成天皇(1586- )
- 後水尾天皇(1611- )
- 「明正天皇」(1629- ):先代・後水尾の娘。(次代は父・後水尾の男系)
- 後光明天皇(1643- )
- 後西天皇(1654- )
- 霊元天皇(1663- )
- 東山天皇(1687- )
- 中御門天皇(1709- )
- 桜町天皇(1735- )
- 桃園天皇(1747- )
- 「後桜町天皇」(1762- ):先代・後桃園の叔母。桜町天皇の娘。(次代は父・桃園の男系)
- 後桃園天皇(1770- )
- 光格天皇(1779- )
- 仁孝天皇(1817- )
- 孝明天皇(1846- )
- 明治天皇(1867- )
- 大正天皇(1912- )
- 昭和天皇(1926- )
- 明仁(1989- )
- 徳仁(2019- )
さいごに
神武天皇の存在を裏付ける記述のある最初の文献は、天武天皇の命にて編纂された古事記(712年)・日本書紀(720年)。これらの完成が8世紀初頭である事を踏まえれば、神武天皇はその当時で既に約1300年以上前の存在。
1300年前というと、例えていうなら現代の人が歴史書なしに奈良時代の天皇を語るに等しい。
神話として扱われるのも致し方ないかと。
さて、「万世一系」は日本の歴史の根幹として一貫性・正当性を表現する概念としては受け入れやすいが、史実を踏まえれば神武天皇まで男系の血統がつながっているというのは盛りすぎ、個人的には棄却。
以上をまとめれば、
- 男系での継承は、「継体天皇以降1500年以上続く伝統」として理解。
- 男系が維持できない女系の天皇(男性天皇・女性天皇とわず)が即位するのは、この伝統に反する
- 女性天皇は史実からみても何の問題はない
- 継体天皇も正当な皇統としてみなすのであれば(この当時で200年ぐらい遡っている)、旧宮家からの養子による天皇継承は伝統の枠組み内であり問題はないはず
- 正統性の解釈は明治時代において既に変更可能としている(南北朝時代の天皇の系譜の正統性)
また、古事記・日本書紀、神皇正統記、大日本帝国憲法の時代背景をみれば、権力正当性の担保が必要な時代に天皇の権威の正統性が強化されてきた(動機)と見えなくもない。。
これは、明治時代含め政権(幕府)がどれほど実力を持っていても、その権力の法的な根拠や「日本全土を支配する正当性」を与える唯一の権威が天皇であったためと推察されるが、現在の憲法の基本原理は「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」。つまり、天皇は総理大臣を任命するものの、形式的・儀礼的な行為としての「認証」であり、その政権の正当性の法的根拠を与えるのは国民。天皇は日本の象徴に代わっている。
となると、本当に伝統をどうとらえるか?だけ
結局、神武天皇以来の血統の保持(万世一系)が、、とか、女系・女性天皇を認める・認めないという話題は、「(神武天皇ではなく)継体天皇以来1500年守られてきた伝統という枠組みの保持」をどう考えるか?が固まれば自動で結論はでる、個人的な結論。