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[時事問題]「男系天皇」とか「女性天皇」とか:天皇の系譜、ニュースを聞く前に知っておいた方がよさそうなこと

時事問題

「男系天皇」とか「女性天皇」とか、何をそんなに盛り上がっているのだろうと

政権が変わり優先課題になったそうで、皇室典範改正がニュースになっている。

これがまた、それぞれがそれぞれの立場で、解釈を微妙に変えながら主張しているので、何を根拠に話しているのか非常にわかりにくい。

一番わかりにくいのが「男系天皇」について。

現在の皇室典範では、「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これに継承する」、つまり「男系天皇」とは、その血統を守るために天皇は「男系(父系)」の血統者に限られる。

これは、初代神武天皇から受け継がれている男系の血統こそが、天皇の正統性の根幹(「万世一系」と呼ばれる)であり、日本の伝統として守るべきもの、であるという。

また「女系天皇」(女系男子天皇・女系女子天皇)に切り替わったことは、2600年以上続く日本の歴史上にないと、、

なーんて聞くと、そうか、過去の困難も乗り越えて守られてきた伝統を、現代人の判断基準で切り替えるのもどうかなぁ、、と。

が、その一方で「万世一系」なんてものは明治維新で天皇の権威付けのために作られた説に過ぎず根拠はない、今のご時世、別に男系男子でなくとも構わない、なんていう情報もある。

相反するニュースを読むと何がなんだか。。。で、Geminiを使ってちょっと調べてみた。

「万世一系」概要

「万世一系」とは、1889年(明治22年)に発布された大日本帝国憲法第1条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と明記された、明治時代における国家の基本原理の根幹を成す概念(定義)。

(なお、現在の憲法の基本原理は「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」)

ただし、この言葉が使われる以前から、「天皇の血統は途絶えることなく続いている」という意識自体は古くから存在していたとのこと。

7世紀から8世紀の「古事記」「日本書紀」の編纂時期には、すでに「天皇の家系は特別なものである」「天皇の位は特別な血筋の者だけが継ぐもの」という認識が確立されていたとされている。

この認識は天皇の正当性や権威を高める必要が生じた時代背景がある際に強化されているているように推論できる。

  • 7世紀天武天皇の命による「古事記」「日本書紀」編纂が、天皇を中心とする中央集権国家としての体制の正当性を確立させるため、天皇による支配が歴史的必然であることを正当化する必要が求められた時代背景のもと編纂されたこと
  • 北畠親房が著した14世紀の『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』では、当時北朝と対立していた南朝側の正統性を主張するために「天皇の血統がいかに神武天皇から神聖かつ連続的に繋がっているか」を論理立てて説明する事により、天皇の血統の正統性を強調する理論的な枠組みを固めていること
  • 19世紀の明治維新において、薩摩・長州などの討幕派は天皇の権威を盾に自らを「官軍」へと正当化し、徳川幕府を「逆賊」へと転落させた。明治政府は旧幕府から国家権威をスムーズに継承するため、大日本帝国憲法第1条で「万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と規定し、これを国家統治の絶対的な理念としたこと。

つまり、今ニュースなどで取り上げられている「男系天皇が日本の伝統である」という主張の根拠として挙げられる「万世一系」という言葉が定着したのは、19世紀の明治時代の大日本帝国憲法が始まり。またその根底にある「天皇の血統は途絶えることなく続いている」という概念は、7世紀から8世紀の『古事記』『日本書紀』の頃から存在し、強化されてきている。

「万世一系」のあいまいさ

確かに、「万世一系」が意味する「日本の天皇は男系の血統をたどれば、日本古来の神の子である初代神武天皇までつながる系譜をもつ(皇統)」とする概念は、「権威継承の一貫性」としての「日本人としての伝統の価値(アイデンティティ・政治)」を高める事には効果を持ち、受け入れやすい。

反面、神話の時代まで含み、史実としての根拠(裏付け)が乏しい時代まで含むため、この言い切りが「歴史的事実(サイエンス・歴史学)」上の反論、別解釈を生む

概略、

  • 初代神武天皇(紀元前660年頃- )~9代開化天皇(紀元前157年頃- )の欠史八代を含み、神話上の存在まで含む。
  • 第26代継体天皇(507年頃- )にて、歴史学上政権交代(王朝交代)が強く疑われる転換点がある。

より、初代神武天皇からの男系血統の天皇の継続性に対する疑義を生むが故である。
(継体天皇以降としても1500年以上は継承されているので伝統と呼ぶには十分とも思えるが。。。)。

以下にてもう少し詳しく。

「万世一系」のあいまいさ詳細:「男系が守られていない」という主張について

南北朝時代の混乱から皇統の正当性の継承には揺らぎがあるものの、継体天皇以降の男系の継承の枠組み自体は史実として確認できるようにも見える。

ただし一方で、歴史学的に見れば、継体天皇以降の長い歴史(中世の混乱や近親婚・側室制度の運用など)においても、単純な父系だけで無傷に一本の線がつながっていると厳密に証明するのは極めて困難であり、「男系継承が絶対的に維持されてきた」と言い切るには記録の空白や政治的介入という不確定要素を含んでいるともされる。

さて、この点以外にも「男系が守られていない」という主張を集約すれば、以下となる。

  • 「古代(紀元前)の系譜は史実というより物語である」
    :紀元前の史実のない神話も含めている。
    この時代の記述は天皇名の羅列であり、血縁関係は不明。初代神武天皇までつながっていることは証明できず、当然男系が守られていることも証明できない。
    • 弥生時代の日本列島は統一された単一の国家ではなく、各地に「クオ(小国)」と呼ばれる独立した地域勢力が多数存在する「クオ連合(分立社会)」の状態であったとされる。
      (「魏志倭人伝}に登場する卑弥呼の邪馬台国(3世紀前~中頃)も、そうした数ある勢力の一つ(あるいはその有力な連合体の盟主)。
      この各地に割拠していた強力な首長(クオ)たちの一人に過ぎなかったヤマトの勢力が、3世紀中頃からの古墳時代にかけやがて諸勢力を束ね、ヤマト政権としての「大王」の地位を固めたという説が有力。
    • これに対し、「日本書紀」の記述に従えば、神武天皇が即位したとされるのは紀元前660年であり、それ以降は万世一系の天皇が連続して日本を統治してきたことになっており、邪馬台国の存在含め後期弥生時代との社会構造と矛盾が生じている事から歴史学との乖離が大きく、その時代の即位自体に信頼性に欠ける
  • 「歴史上、皇統の連続性には不明瞭な点がある」
    :古墳時代のヤマト政権下において日本列島を統一していった政治権力のトップは、当初は「大王(または大君)」と呼ばれ、初期の王権(古墳時代のヤマト政権)の首長たちにおいては、どこまで一つの血統でつながっていたのかは不明(継体天皇以前)。
    • 逆に、継体天皇以降の文献(『日本書紀』の後半や、その後の公的な記録など)では、即位した天皇名が単なる羅列から、「誰が誰の息子であるか(あるいは兄弟・近親であるか)」という関係性が明記。この「系譜上の連続性」があることをもって、歴史学ではこれを「男系継承の連鎖」として扱うとのこと
      • 大王家の直系の断絶と継体天皇:
        古事記・日本書紀によれば第25代武烈天皇に子がなかったことから大王家の直系が断絶。越前国の大迹王が政権より推挙され継体天皇が即位したと記述されるが、応神天皇の五世孫とされる継体天皇自身の大王家との直接的な親子関係を示す記録は極めて希薄。
        継体天皇は地方実力者によるヤマト政権下における政権交代(別の系統)である説が有力。

に加え

  • 「明治以降に作られた権威付けにすぎない」
    :国民統合のために天皇家の権威を(統治の正当性を示すために)明治政府が必要とし、「神話的な連続性(物語)」と「現実の政治的な継承(歴史)」を、明治時代に一つの「法的な原理」として無理やり結びつけたことによる誤謬
  • 「天皇という地位が、女性天皇から子供へ直接引き継がれた事実
    :歴史上、皇族同士の結婚が基本であったため、継体天皇以降基本的には「男系」が維持されている。
    • ここで明確に区別すべきなのは、性別が女性であるだけの「女性天皇」(過去に10代8人存在し、全員が父方に天皇の血を持つ男系)と、母方の血筋を通じて天皇の血を引く「女系天皇」(歴史上存在しない)の違いである。
    • 過去の女性天皇は全員が男系であったが、生物学的な観点や系譜学的な見方を厳密に適用すれば「天皇という地位が、女性天皇から子供へ直接引き継がれた」という事実は「天皇の血を直接受け継ぐ母が天皇である」という側面をもち、父系継承だけでは説明しきれない「女系的な継承プロセス」を内包していると解釈されているとのこと。
    • また、日本の古代王権は、父系だけでなく母方の血筋も重要視する「双系的な性質」を持っていたという説もあり、男系のみを唯一の継承原理とするのは後世の解釈という指摘もある。つまり、女系の完全否定はできない

さて、初代神武天皇から現代にいたるまで系譜とされている代々の天皇名を以下に

主な天皇とその時代

青字:男系継承であることが不明な天皇、赤字:女性天皇

弥生時代(紀元前10世紀頃)

  • 第1代 神武天皇(伝承上の即位:紀元前660年頃〜)
    • ヤマヒコ(山幸彦/ホオリノミコト:神)の孫とされるが神話上の存在
      • ニニギノミコト(天孫降臨した神)の子がヤマヒコ、ヤマヒコの子がウガヤフキアエズノミコト(鵜草葺不合命:神)であり神武天皇の父
        (ちなみに、ウミヒコ(海幸彦/ホデリノミコト)はヤマヒコの兄)
    • 生物学的な血縁の連続性は証明不可能。
  • 第2-9代、欠史八代(実在および系譜不明)

弥生時代末期(3世紀前半〜中頃)

弥生時代、日本列島は統一された単一の国家ではなく、各地に「クオ(小国)」と呼ばれる独立した地域勢力が多数存在する「クオ連合(分立社会)」の状態。弥生時代後期(邪馬台国卑弥呼によって平定)

邪馬台国 卑弥呼(在位:3世紀前半〜248年頃?)
:中国の歴史書『魏志倭人伝』に記される邪馬台国の女王。
100国ほどの国々が争う中で「卑弥呼が王(女王)になると国が平和になった」と記される。
鬼道(呪術・占い)で人々をまとめ、日本列島が古墳時代へと移り変わる直前の時期に倭国を統治した。

古墳時代

古墳時代(初期・3世紀中頃〜)

ヤマト政権: 奈良盆地(巻向遺跡など)を中心に、日本各地の首長層が結集する初期の政治的中心地が形成される。緩やかな「首長連合」社会。

  • 第10代 崇神天皇(伝承上の即位:紀元前97年頃〜/考古学的推定:3世紀中頃〜後半頃)
    • 歴史学上、実在が確実視される最初の天皇(王)候補とされることが多いが、それ以前の欠史八代との系譜的接続は不明。初期ヤマト政権の成立期や最初の大型前方後円墳の築造時期に重なる。
  • ・・・・

古墳時代(中期・4世紀末〜5世紀頃)

ヤマト政権: 河内平野(大阪平野南部)へ政治拠点が移動。瀬戸内や大陸との外交・流通を背景に巨大古墳(百舌鳥・古市古墳群)が築造される。雄略天皇(ワカタケル大王)の時代などを経て大王の権力が強化されるにつれ「首長連合」から「氏族制社会(氏姓制度)」に移行

  • 第15代 応神天皇(伝承上の即位:270年頃〜 /考古学的推定:4世紀末〜5世紀初頭頃)
    • 巨大な誉田御廟山古墳(応神天皇陵)などの造営と重なりヤマト政権の権力が大きく確立・拡大した時期の王
  • 第16代 仁徳天皇(伝承上の即位:313年頃〜/考古学的推定:5世紀前半頃)
    • 大山陵古墳(仁徳天皇陵)の造営時期と重なり、河内政権の全盛期を築いた王
  • ・・・・
  • 第21代 雄略天皇(伝承上の即位:456年頃〜/考古学的推定:5世紀後半・下半)
    • 稲荷山古墳鉄剣銘や江田船山古墳鉄刀銘の「ワカタケル大王」に比定される(結びつけられる)。
      国内統治と対外的な強権を示した王。

古墳時代(後期・5世紀末〜6世紀)

ヤマト政権: 拠点が再び奈良盆地(飛鳥地方など)に戻り、豪族間の勢力争いや大陸からの新しい政治・文化の受容が進む。蘇我氏や物部氏などの有力豪族が「氏上(うじのかみ)」として政権の中核を担い、「氏姓制度」としての社会構造が完成

  • ・・・・
  • 第26代 継体天皇(507年頃〜)
    • 大王家の直系の断絶と継体天皇:
      古事記・日本書紀によれば第25代武烈天皇に子がなかったことから大王家の直系が断絶。越前国の大迹王が政権より推挙され継体天皇が即位したと記述される。
    • ただし、応神天皇の五世孫とされる継体天皇自身の大王家との直接的な親子関係を示す記録は極めて希薄。
    • 継体天皇は地方実力者によるヤマト政権下における政権交代(別の系統)である説が有力。
  • ・・・・
  • 第31代 用明天皇(585〜)
    • 大王家(のちの天皇家)と蘇我氏(蘇我馬子)が協力し、反対派の物部氏(物部守屋)を討伐(丁未の乱(ていびのらん)587年)。結果、蘇我氏の権力が拡大
  • ・・・・

飛鳥時代

「氏姓制度」から中央集権的な「律令国家体制」へ移行

  • 第33代 推古天皇(592または593〜)
    • 先代・崇峻の異母妹。蘇我馬子の姪(次代は欽明天皇の男系孫)
      聖徳太子(厩戸王)らを登用して冠位十二階や十七条憲法を制定し、仏教の推進を行うとともに本格的な国家体制の整備を進めた、飛鳥時代の幕開けを象徴する天皇。
    • 小野妹子(おののいもこ)らを遣隋使として隋へ派遣。
      • 遣隋使の目的は、中国の進んだ制度や仏教・儒教の文化を学び、対等な外交関係を結ぶこと。「日出処(ひいづるところ)の天子、書を日没処の天子に致す……」という国書が有名。
  • 第34代 舒明天皇(629〜)
    • 留学生や僧侶らを中国へ派遣する遣唐使を開始。630年(第1次)から始まり894年(第20次:中止)まで継続。
      • 唐の先進的な法律(律令制)、仏教、文化、技術を大量に吸収し、日本の国家体制づくり(大宝律令の制定(702年)など)に役立てる事が目的。
      • 阿倍仲麻呂、吉備真備(第9次)、空海、最澄(第16次)が有名。
  • 第35代 皇極天皇(642〜)
    • 先代・舒明の妻。茅渟王(敏達天皇の孫)の娘。(次代は欽明天皇の男系)
    • 在位期間に中大兄皇子(のちの天智天皇)や中臣鎌足らが中心となり権力が強大となった蘇我入鹿を暗殺・排除が発生(乙巳の変:645)
    • 日本で最古の元号「大化」を定め、孝徳天皇に譲位(645)
  • 第36代 孝徳天皇(645〜)
    • 中大兄皇子や中臣鎌足らが中心となり大化の改新の開始される
      「天皇による土地と人民を直接支配(律令国家の完成に向けた第一歩)」
      :主に以下の4つの政策(改新の詔などで示された方針)に基づく政治改革
      • 公地公民の原則:豪族の私有(私地私民)から、すべて公有(公地公民:国家(天皇)のもの)へ
      • 戸籍・帳簿の作成:国家がすべての人々の戸籍、税の基本となる帳簿を把握
      • 税制(租庸調)の導入
      • 官僚制・身分制度(冠位・政治組織)の整備:天皇を頂点としたピラミッド型の官僚組織
  • 第37代 斉明天皇(655〜)
    • 皇極天皇の重祚(退位後の再即位)(次代は舒明の男系)
    • 白村江の戦い(663年)。660年に唐と新羅の連合軍によって滅ぼされた百済の再興をねらい、倭国(日本)・百済(くだら)の連合軍と、唐(中国)・新羅(しらぎ)の連合軍の間で起きた古代の国際戦争(朝鮮半島の白村江(現在の韓国・錦江の河口付近)において衝突)。
      • 中大兄皇子らの指揮のもと、日本は数万人にのぼる兵士や軍船を朝鮮半島へ送り込むものの日本側の大敗に終わり、古代の日本外交と国家体制に決定的な転換点をもたらす。
  • 第38代 天智天皇(668〜)
    • 中大兄皇子。中臣鎌足らとともに大化の改新をすすめ、律令国家体制(天皇を中心とした、法律(律令)に基づく中央集権的な国家体制)を構築
  • 第39代 弘文天皇(672〜)
    • 大友皇子(天智天皇の子)。壬申の乱にて敗北。
  • 第40代 天武天皇(673〜)
    • 大海人皇子(天智天皇の弟)。壬申の乱にて勝利。「古事記」「日本書紀」の編纂を命じた天皇
      歴史上、「天皇」という称号「日本」という国号、(白鳳などの)独自の元号」が本格的に用いられ始めたのは、天武天皇の治世からと考えられている。
      • それまでの「大王(おおきみ)」から脱却し、中国の皇帝に匹敵する絶対的な君主として「天皇」の権威を確立
    • 豪族を統制するための「八色の姓(やくさのかばね)」を制定し、身分秩序を再編成。
    • 飛鳥の浄御原宮(きよみはらのみや)を都とし、本格的な法律や制度の整備(浄御原令の制定に向けた動きなど)を推進し、これがのちの大宝律令へとつながる。
  • 第41代 持統天皇(690〜)
    • 先代・天武の妻。天智天皇の娘。(次代は天武の男系)
    • 藤原宮(ふじわらきゅう / 藤原京)に遷都(694)
      • 日本初の本格的な条坊制(碁盤の目状の都市計画)を持つ都。天武天皇が構想し、持統天皇の時代に完成・遷都。
  • 第42代 文武天皇(697〜)
    • 大宝律令の制定(702)。刑部親王(おさかべしんのう)や藤原不比等(ふじわらのふひと)らが中心となり編纂。日本が法律に基づいた中央集権国家(律令国家)として本格的に動き始める
  • 第43代 元明天皇(707〜)
    • 先代・文武の母。天智天皇の娘。(次代へ男系継承)
    • 「古事記」の完成(712)
    • 「平城京」へ遷都

奈良時代

  • 第44代 元正天皇(715〜)
    • 先代・元明の娘。草壁皇子(天武天皇と持統天皇の皇子)の娘。(次代は文武の男系)
    • 「日本書紀」の完成(720)
  • ・・・
  • 第46代 孝謙天皇(749〜):先代・聖武の娘。(次代は天武の男系)
  • ・・・
  • 第48代 称徳天皇(764〜):孝謙天皇の重祚。(次代は天武の男系に遡る)
  • ・・・
  • 第50代 桓武天皇(781〜)
    • 「平安京」へ遷都

平安時代

  • 第50代 桓武天皇(781〜)
    • 「平安京」へ遷都
  • ・・・
  • 第59代 宇多天皇(887〜)
    • 第20次遣唐使が菅原道真の建議によって計画停止・廃止
  • ・・・
  • 第77代 後白河天皇(1155〜)
    • 保元・平治の乱(1156年・1159年)平定による平家(平氏一門)の台頭
  • ・・・
  • 第81代 安徳天皇(1180〜)
    • 源氏の平家討伐と平家の滅亡
  • 第82代 後鳥羽天皇(1183〜)
    • 源氏の政権掌握。後鳥羽天皇が源頼朝を征夷大将軍に任命する事により「鎌倉幕府」成立(武家政権の樹立)

鎌倉時代

武家政権による「封建社会」への転換。後鳥羽天皇が源頼朝を征夷大将軍に任命する事により「鎌倉幕府」成立

  • 第82代 後鳥羽天皇(1183〜)
  • ・・・
  • 第96代 後醍醐天皇(1318〜)
    • 鎌倉幕府を倒幕した天皇。その後の南朝の初代天皇

南北朝時代

後醍醐天皇の「建武の新政」の失政から、足利尊氏が反旗を翻し北朝・南朝に分かれる

北朝(持明院統)南朝(大覚寺統)
第97代 光厳天皇(1331〜):北朝の初代天皇
足利尊氏により天皇として擁立される。その後足利尊氏は室町幕府開設
第97代 – 第98代
第98代 光明天皇・・・
(飛ばし)三代
崇光天皇〜後光厳天皇〜後円融天皇
第99代 後亀山天皇(1383〜)
後小松天皇へ譲位

室町時代

南北朝時代終了(後亀山天皇が後小松天皇へ譲位)

  • 第100代 後小松天皇(1382〜)
  • 第101代 – 第105代 

安土桃山時代

  • 第106代 正親町天皇(1557〜) – 第107代 後陽成天皇(1586〜)

江戸時代

  • 第108代 後水尾天皇(1611〜)
  • 第109代 明正天皇(1629〜)
    • 先代・後水尾の娘。(次代は父・後水尾の男系)
  • ・・・
  • 第117代 後桜町天皇(1762〜)
    • 先代・後桃園の叔母。桜町天皇の娘。(次代は父・桃園の男系)
  • ・・・
  • 第122代 明治天皇(1867〜)
    • 即位直後に大政奉還

明治維新 ~ 第二次世界大戦(大日本帝国憲法下)

明治天皇即位直後に大政奉還。大日本帝国憲法下の「天皇主権」国家への体制転換(明治維新)

  • 第122代 明治天皇(1867〜)
    • 明治維新による近代国家への転換(王政復古の大号令、江戸幕府の終焉と明治政府の樹立)
    • 大日本帝国憲法の発布(1889)
      • 旧皇室典範(大日本帝国憲法と同日に発布)
    • 日清戦争(1894)・日露戦争(1904)の勃発
  • 第123代 大正天皇(1912〜)
    • 第一次世界大戦の勃発(1914:日本は連合国側として参戦)
    • 関東大震災(1923)
    • 普通選挙法の公布(満25歳以上男子に選挙権付与)と治安維持法の制定(1925)
  • 第124代 昭和天皇(1926〜)
    • 満州事変の勃発(1931:国際連盟からの脱退へ)
    • 日中戦争の本格化(1937)
    • 太平洋戦争の勃発(1941:第二次世界大戦敗戦(対米英開戦))

第二次世界大戦以降(日本国憲法下)

第二次世界大戦敗戦(1945)後、日本国憲法の施行(1947)に伴い「天皇主権」から日本国憲法下の「国民主権」へ(戦後改革)

  • 124代 昭和天皇(1926〜)
    • 第二次世界大戦敗戦(1945:ポツダム宣言受諾)
    • 日本国憲法の施行(1947:国民主権、象徴天皇制の成立)
      • 現行の皇室典範(日本国憲法と同日に発布)
    • サンフランシスコ平和条約の調印(1951:日本の主権回復)
  • 125代 平成天皇(1989〜)
  • 126代 今上天皇 徳仁:令和(2019〜)

日本の社会構造の遷移

弥生時代からの歴史の流れからすれば、

  1. 弥生時代に日本列島は統一された単一の国家ではなく、各地に「クオ(小国)」と呼ばれる独立した地域勢力が多数存在する「クオ連合(分立社会)」の状態
  2. 弥生時代後期、各地に割拠していた首長(クオ)が邪馬台国 卑弥呼によって平定
  3. 古墳時代前~中期、強力な首長(クオ)たちの一人であったヤマトの勢力が、3世紀中頃からの古墳時代にかけやがて諸勢力を束ね、ヤマト政権としての「大王」の地位を固め、緩やかな「首長連合」から「氏族制社会(氏姓制度)」に移行
  4. 飛鳥時代、「氏姓制度」から「律令国家体制」へ移行。
    • 中国の進んだ先進的な法律(律令制)、仏教、文化、技術を大量に吸収し、対等な外交関係を結ぶため遣隋使、遣唐使を派遣。豪族の台頭を抑えながら中央集権的制度への変換を図る。
    • 白村江の戦いの敗戦をきっかけに、外国の侵略を防ぐ防衛体制の強化(西日本の守り)、強固な中央集権国家を作る必要性が高まりにより、大化の改新をへて律令国家体制へ移行
    • 壬申の乱を勝利した天武天皇により、大王の権力強化。歴史上、「天皇」という称号や「日本」という国号、そして独自の元号(白鳳など)が本格的に用いられ始めたのは、天武天皇の治世からと考えられている。また古事記・日本書紀の編纂を命じる
      • この古事記・日本書紀にて、大王家(天皇家)の系譜(神武天皇から始まる皇記)が記載される
        • 天皇家の系譜が神話につながる事を記すことにより、天皇家の統治の正統性を示す
  5. 奈良時代、平安時代を経て「中央集権的な律令国家」と貴族社会が成立
  6. 鎌倉幕府による「中央集権的な律令国家(およびその変形である貴族社会)」から武家政権による「封建社会(武家社会)」への転換
    • 天皇による征夷大将軍の任命により「武家政権」が樹立
      • 朝廷(公家勢力)と鎌倉幕府(武家勢力)が役割を分担しながら共存する、いわば「連合政権(公武政権)」
  7. 南北朝時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代にて「武家政権」継続
  8. 明治維新にて「立憲君主制国家」に転換
    • ただし、藩閥政府支配による強力な中央集権体制をもち、また天皇大権の絶対性から、「専制国家的な側面」および「天皇制専制」の面をあわせもつ(天皇の権威を「武家政権」時以上に神格化し、統治に利用)
  9. 第二次世界大戦後、「民主主義国家」に転換
    • 天皇は「象徴」に

つまり日本の社会構造は、

  • クオ連合(分立社会)」(弥生時代)→
  • 首長連合」(古墳時代)→
  • 氏族制社会(氏姓制度)」(飛鳥時代)→
  • 律令国家体制、貴族社会」(飛鳥~平安時代)→
  • 封建社会(武家社会)」(鎌倉~江戸時代)→
  • 立憲君主制国家」(明治~昭和時代)→
  • 民主主義国家」(昭和時代~)→

と遷移。

まとめ

初代神武天皇の存在を示す最初の文献は、天武天皇の命にて編纂された古事記(712年)・日本書紀(720年)。この中ではその即位は紀元前660年頃とされる。

古事記・日本書紀の完成が8世紀初頭である事を踏まえれば、この当時で既に約1300年以上前の存在の天皇について記述していることになる。
(1300年前というと、例えていうなら現代人が、公式な歴史書なしで奈良時代の天皇を語るに等しい。)

飛鳥時代の「古事記」・「日本書紀」にその血縁関係の記載もなく、(それより前のヤマト朝廷、さらに前の)弥生時代からつながる血統と主張すること、さらに魏志倭人伝に登場する弥生時代末期とされる邪馬台国の存在まで封印したとなると、歴史学上史実として扱われないのも致し方ない。

「万世一系」は日本人として一貫性・正当性を示す歴史の根幹としての概念としては受け入れられやすい事は理解できるが、以上の歴史学上の検証結果と史実の流れを踏まえれば、日本古来の神の子とされる神武天皇まで男系の血統がつながっているという説はかなり盛りすぎ、個人的には棄却

よって、史実というより

  • 「日本という国家のアイデンティティを支えているとする歴史的・政治的な思想(神話)」

と、とらえるのが妥当。

物語として取り扱うにはよいが、国会等の公式な場で正統な伝統・歴史として、正当な主張・判断材料に使用するのはいかがなものかと(素人でも疑うレベル、)。

さて、以上をまとめれば、

  • 男系での継承は、「継体天皇以降1500年以上続く伝統」までは仮説として許容レベル。神武天皇まで男系継承が続いているというのは物語レベル。
  • (男性天皇・女性天皇とわず)男系が維持できない女系の天皇の即位は、この思想・伝統からは反している(継体天皇からの約1500年)。
  • 女性天皇は史実からみても何の問題はない。
  • 継体天皇を正当な皇統としてみなすのであれば(この当時で200年ぐらい遡っている)、(旧宮家でなくとも)男系継承さえ確保できれば養子による天皇継承も伝統の枠組み内とみなすことも可
  • 加え、明治時代における南北朝時代の皇統の正統性への解釈変更を踏まえれば、その正統性の定義は既に広義。

ついでに

先の通り、古事記・日本書紀、神皇正統記、大日本帝国憲法の時代背景をみれば、権力正当性の担保が必要な時代に天皇の権威の正統性が強化されてきた歴史がある、と見える。

これは、ときの政権(幕府)がどれほど実力を持っていても、その権力の「法的な根拠」、また「日本全土を支配する正当性」を与えることができる唯一の権威(時代とともに強化された権威)が天皇であったため、と推察できる。

これに対し、戦後の民主主義を採用する現在の憲法の基本原理は「国民主権」。

現憲法下においても天皇は総理大臣を任命するものの、統治権の付与を意味するものではなく、あくまで現憲法に基づいた形式的・儀礼的な行為としての「認証」であり、その政権が国を統治する正当性の法的根拠を与えるのは国民(による選挙)、が現在の民主主義憲法の建付け構造。つまり、

  • 日本の統治権を与える「天皇」としての最高権威からの転換は日本の歴史上初めて
    (認証としての形式を残すのみ)

現憲法下において、天皇の位置づけは「日本の象徴」。この中での主な「日本の象徴」として担う役割は、

  • 「国事行為」:憲法に定められた形式的な役割
  • 「公的行為」:伝統・慣習に基づく役割
    • 宮中における儀式・祭祀(さいし)の継承
    • 公式行事への参列: 国際親善のための外国訪問、日本への賓客の接遇、および大きな公的行事(国体等)への出席。
    • 被災地へのお見舞い: 自然災害などで被災した地域を訪問し、国民に寄り添う姿勢を示すこと。
  • 「日本国民統合の象徴としての姿勢」:国民の幸せと国の平穏を常に祈る存在

とされる。

ついでのついで

となれば、過去女性天皇が即位した事実がある事も踏まえれば、これら行為の実施が男性である必要はなく、また男系・女系、男性・女性天皇の問いへの解もここにはない。

現行の皇室典範において定められている「皇位継承は男系男子に限る」は、(明治維新時の権威強化により)天皇が神武天皇以来再び「神」(「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」)とされた旧皇室典範を流用したものであり、これは、

  • 日本の伝統と主張する人
  • 今の時代背景を元にすれば、これは時代錯誤

と主張する人の間で意見は分かれる。

結局のところ、現在の日本国憲法下において「日本の象徴としての天皇とは何か?」(象徴としての資格)の解を再定義し、それを国民が共通認知することが第一歩。さもなくば、この問題を議論する上での基準が定まらないことは容易に予想できる(判断基準がない)。

現在の憲法の建付けであれば、その再定義した解をベースとした上で、物語ではなく史実を元に何が伝統であるかを再確認。その上で伝統をどう組み込むか/もしくは組み込まないのかの建付けで構築するべきとも思う。

いまのところ国会での議論・報道内容を聞く限り、神武天皇以来の血統の保持が、、とか、女系・女性天皇を認める・認めない、、なんていう、(判断基準がはっきりしないままの)個人の好みの思想をぶつけ合っているだけの様にも見える。
(残念ながらこれは議論と呼べるものではない=ただYes/No・好き/嫌いのヒューリスティック的判断で分かれた主張を言い合っているだけ。どの主張も思想であるが故、互いに妥協する必要はなく議論とは呼べない、の意味。)

→ 現代の主権者である国民が最適解と認知できる結論が、このレベルの議論の先にあるとは思えない。。。

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